「自分の仕事」と「作品としての公開」
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最終更新日:2016/06/10
ブログ, 単純作業に心を込める
昨日書いた「自分の好きなことへの没頭を、「作品」として公開すること」に関連して、観点を変えて、もう少し書きます。
今回は、「好きへの没頭」の観点ではなく、「自分の仕事」の観点から。
「自分の仕事」とは、倉下忠憲さんのブログR-styleに登場した言葉です。倉下さんのモットー、<<「自分の仕事」をする>>の中に含まれてる言葉で、対立する概念は、「他人の仕事」になります。
2年弱前にこの文章を読んで以来、<<「自分の仕事」をする>>、<<「他人の仕事」はしない>>は、私にとっても、大切な道標であり続けてきました。
昨日の記事を書きながら、「自分の仕事」と「作品として公開すること」は、つながっているのではないか、と感じました。このつながりについて考えたことを表現してみます。
目次
1.「好きなことに没頭する」ことと「作品として公開する」ことの、微妙な関係
「自分の好きなことへの没頭を、「作品」として公開すること」で考えたのは、ブログ記事を公開することの意味でした。
●
私がブログ記事を書く出発点は、「自分が書きたいこと」「自分の好きなこと」です。でも、私は、「作品未満のものは出さない」という基本方針を持っています。だから、私がブログに公開した記事には、必ず、私自身による、「作品になった」という判断が下されています。つまり、私にとって、ブログ記事を公開するとは、「自分の好きなことへの没頭」から生まれた何かについて、「作品になった」という判断を下し、「作品として公開する」ということです。
「自分の好きなことへの没頭」は、自分が好きなことへの没頭です。他者から評価されるとか自分以外の誰かにとって価値があるかとかは、関係ありません。誰からも承認されなくても、自分以外のすべての人にとって無価値だとしても、自分はこれが好きだから、書く、という態度です。
でも、「作品として公開する」意味は、自分の書いた文章に対する他者からの承認を求めることにあります。自分が書いた文章が、自分にとってだけではなく、自分以外の誰かにとっても何らかの価値を持つはずと信じ、その誰かに届いて欲しい、と願うこと、つまり、普遍的な価値を求めることです。
両者は一見矛盾するのですが、この両者の微妙な関係にうまい道筋をつけるのが、西研さんが解説するところのヘーゲルによる「事そのもの」論でした。
まず、社会や他人の価値観に合わせるだけだと自由がないですよね。だから、いったんは引きこもってストア主義になった。でもそれだとつまらない。こうなると、「社会に合わせて承認されるか」それとも「自分らしく生きるか」そのどちらかを選ぶしかないと思えます。
しかし、自分も他人も納得できるような“〝普遍的な価値あること”〟──これを「事そのもの」とヘーゲルは呼ぶのですが──をハッキリとつかめれば、それが生きる目標となりうる。他人に合わせるんじゃなくて、自分が納得したものに向かうわけですから。
Read more at location 2301 『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』
西研さんは、「事そのもの」がかちっとはまったときのあり方を、ニーチェからヘーゲルへの道筋として、こんなふうに描写します。(同じく、『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』からの引用です。)
「この仕事の価値は、今はまだ世間に評価されていないが、理解してもらえれば必ずだんだんと承認されていくはずだ」と思って、工夫し努力していく。こういう姿勢がヘーゲル哲学の最終到達点ですが、そう思っている人は絶えず新しい試みに挑戦しますから、結果的にすごく充実した生き方になるはずです。
Read more at location 2826
ですから、まずは自分が元気になることからスタートする。いつもそこに戻って考えよ、というのがニーチェの声で、これは大切です。
しかしこの「元気に生きる」をもっと先まで追究しようとしたときには、自分のしている仕事をみんなに承認してもらえるような“〝善いもの”〟にしようと思って努力する必要が出てくる。
そうやって燃えて日々を過ごせば、イキイキと生きることができるはずです。
このようにニーチェからヘーゲルへという道筋で考えると、ぼくらが現代を生きるときのひとつのイメージになるのではないでしょうか。
Read more at location 2829
2.「自分の仕事」であるための2つの要素
さて、「自分の仕事」です。
西研さんは、先ほどの引用箇所で、「「この仕事の価値は、今はまだ世間に評価されていないが、理解してもらえれば必ずだんだんと承認されていくはずだ」と思って、工夫し努力していく。」というあり方を語っているのですが、このあり方は、私がイメージする「自分の仕事」と、かなり重なっています。
個人的に魅力や価値を感じる何かがある。その何かに対して自分の力を注ぎ込むことそれ自体がうれしい。でも、自分がそこに力を注ぎ込めればそれで満足というだけでなく、その結果に、他者が価値を見出して欲しい。そういうことにこそ、自分の人生をつぎ込みたい。そんな物事こそが、「自分の仕事」。こんな感じです。
ここから、私にとっての「自分の仕事」の要素のようなものを取り出すことができそうです。次の2つになります。
- ひとつは、自分として、魅力や価値を感じること。誰がどういうかとは関係なく、自分としては、これが好きだ、ということ。
- もうひとつは、その魅力や価値が普遍的なものになりうることを確信していて、普遍的な価値とするために、貢献したいと思うこと。これを好きになるのは、自分だけではないから、そんな誰かにこれを好きになってほしい、と思うこと。
主観的に自分にとって価値あるものだと思っていることに加えて、自分が主観的に感じる価値は自分だけのものではなく、普遍的なものになりうることを確信していて、普遍的な価値を現実にするために、自分として何かをしたいと思うときに、その何かが、「自分の仕事」になるのだろうと思います。
この意味で、ブログにWorkFlowyのことを書いた記事を公開することは、まさしく私の「自分の仕事」でした。
それは、まずなによりも、自分としてWorkFlowyのことが大好きで、WorkFlowyに魅力や価値を感じていたからで、次に、WorkFlowyに価値を見出しうる人は自分だけではないと確信していたからです。そして、2015年1月当時、ウェブ上に存在していたWorkFlowyに関する日本語情報が少ないという状況を踏まえて、WorkFlowyの普遍的な価値を現実にするため、私としては、WorkFlowyに関する日本語情報をウェブに公開することに取り組もう、と思ったわけです。
3.「自分の仕事」をすることと「作品として公開する」ことの、きれいな関係
ここまで考えたところで、「自分の仕事」と、「作品として公開すること」が、わりときれいにつながっていることに気づきました。
私にとって、「作品として公開する」とは、最初は自分の好きなことへの没頭として始まったことに、自分にとってだけではない価値を確信し、他者からの承認や普遍的な価値を求める、ということを意味します。
図式的に整理すると、こんな感じでしょうか。
- 「作品として公開する」
- スタート
- 主観的な、自分の好きなことへの没頭
- 自分が好き
- 自分にとって価値がある
- 主観的な、自分の好きなことへの没頭
- 作品として公開する
- 自分にとってだけではない価値を確信する
- 他者からの承認、普遍的な価値を求める
- スタート
これに対して、私がイメージする「自分の仕事」には、自分としてそのことに価値を感じることと、その自分が感じる価値を自分だけではないものとして普遍化しようとすること、という2つの要素があります。
これも図式的に整理すると、こうなります。
- 「自分の仕事」
- 自分にとって
- 自分として、そのことに価値を感じる
- 自分以外の人にとってどうあろうと
- 自分以外の人にとっても
- 自分以外の人にとっても、価値があるはずだと感じる
- 自分にとってだけではないものとして、普遍化しようとして、力を尽くす
- 自分にとって
比べてみると、「作品として公開する」と「自分の仕事」は、同じようなかたちをしています。
- 「作品として公開する」
- スタート
- 主観的な、自分の好きなことへの没頭
- 自分が好き
- 自分にとって価値がある
- 主観的な、自分の好きなことへの没頭
- 作品として公開する
- 自分にとってだけではない価値を確信する
- 他者からの承認、普遍的な価値を求める
- スタート
- 「自分の仕事」
- 自分にとって
- 自分として、そのことに価値を感じる
- 自分以外の人にとってどうあろうと
- 自分以外の人にとっても
- 自分以外の人にとっても、価値があるはずだと感じる
- 自分にとってだけではないものとして、普遍化しようとして、力を尽くす
- 自分にとって
「WorkFlowyについて書き、ブログ記事として公開する」ということを、私は、一点の曇りもなく、「これは私の「自分の仕事」です!」と宣言できるのですが、この理由は、この2つのつながりによるのだろうと思います。
4.「作品としての公開」は、「自分の仕事」一般に共通する要素なのか?
これでとりあえずうまくまとまったのですが、もう少し先のことを考えてみます。
それは、
「作品としての公開」は、「自分の仕事」一般に共通する要素なのか?
ということです。
「ブログ記事を書く」という「自分の仕事」には、「作品としての公開」が必然的に伴います。でも、もちろん、「自分の仕事」は「ブログ記事を書く」だけではありません。そして、「自分の仕事」の中には、一見、「作品としての公開」とは無縁なものもあるような気がします。
たとえば私は、ひとりの普通の勤め人ですので、「ブログ記事を書く」ではない生業としての仕事を持っています。生業としての仕事に費やしている時間やエネルギーは、「ブログ記事を書く」に費やしているそれらよりも圧倒的に大きいのですが、幸いにして、今のところ、生業としての仕事の中にも、「これは「自分の仕事」だ」と感じられるような仕事を見出すことができています。ですが、私の生業としての仕事は、パブリックな場に言説を投稿して批評に委ねる、というものではありませんので、「作品として公開する」という部分が見当たりません。
さて、どう考えたらよいでしょうか。
結論として、私は、「作品としての公開」は、「自分の仕事」一般に共通する要素だと考えています。「これが自分の仕事だ」と実感できることには、必ず、「作品としての公開」という要素が伴っているのです。
とはいえ、ここでの「作品」や「公開」は、ブログ記事をウェブに投稿するとか、本を出版するとかでイメージされているブログ記事&本、ウェブへの投稿&出版といった狭いものではなく、もっとずっと広いものです。
自分が何かをしたことで生まれたものは、媒体や永続性や有形・無形を問わず「作品」で、自分以外の他者からの評価を受けうる状態に置かれれば、(たとえ他者が一人であっても、)「公開」です。
こういう意味での「作品としての公開」なら、普遍的な価値を現実化しようとして力を尽くす、ということとほとんどイコールなので、「自分の仕事」一般に共通するのではないかと考えています。
関連して、ここでも、西研さんの言葉を引きます。『集中講義 これが哲学! いまを生き抜く思考のレッスン (河出文庫)』からです。
人間どうしが「よいもの」「ほんもの」をつくろうとして互いに競いあう。そのなかで「これこそがいいものだ、ほんものだ」ということが互いのなかに信じられてくる。「よいもの」「ほんもの」が人間の頭のなかにいわば結晶してくるわけです。
Read more at location 542
天上界にあらかじめよいものがあるわけじゃない。
Read more at location 544
そうじゃなくて、人間どうしが互いに作品をつくって互いに鑑賞し、批評しあう。そうしたやりとりのなかで、「だめなもの」と「いいもの」が互いのなかで確かめられる。そういう営みを通じてはじめて、人間の生の目標となるもの、価値あるものが信じられる。
Read more at location 545
こうした営み──〝事そのものをめざすゲーム〟ということができるでしょう──がいきいきと行われることによってはじめて、人のなかに「素敵なものってあるよね」という思いが、つぶれないで生きてくことができるわけです。
Read more at location 547
こんなイメージをいつも大切にしながら、(ワクワクしながらブログにWorkFlowyのことを書くだけでなく、ときどき面倒だなあと思ってしまう生業としての仕事も含めて、)「自分の仕事」に力を尽くしていきたいなと思っています。
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