「文章群を書き続ける」というあり方が、「考える」を促す
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書き方・考え方
目次
1.「考えたい。でも、そのために何をしていいか、わからない。」
『知的生産の技術』や『思考の整理学』を読んで「知的生産」に対するあこがれを抱いたとき、私の中に生まれた思いは、「考えたい。」でした。
だから私は、情報カードを買い、3冊の手帖を用意しました。そして、買い込んだ情報カードに「マメ論文」を書いて「発見の手帳」をやろうとし、3冊の手帖の表紙に「1冊めのノート」「メタ・ノート」「メタ・メタ・ノート」と書いてメモする習慣を身につけようとしました。
でも、続きませんでした。
面倒くさがりで大雑把な性格のためか、情報カードを作ることは面倒で面白くなく、一生懸命作った情報カードを活用することもできませんでした。「手帖」に書いたメモを「ノート」に書き移すのすら面倒で、「メタ・ノート」は結局ほとんど真っ白のままでした。
かろうじて身についたのは、情報カードに移行する前の「発見の手帳」の方法、つまり、いわゆる100円ノートに1ページ1テーマで考えたことをメモする、という習慣です。しかし、これも基本的には「書きっぱなし」であり、書いたらそれっきり読み返すこともなく、書きなおすこともなく、そこから何らかの作品を生み出すこともできませんでした。
「考えたい。」と強く思っていたにも関わらず、「でも、そのために何をしていいか、わからない。」という状態だったのです。
●
今はちがいます。
WorkFlowyのこと、アウトライナーのこと、情報の構造のこと、普通の個人が「自分の仕事」と出会うこと、ウェブ時代におけるセルフ・ブランディングのことなど、自分が関心を抱くテーマについて、「考えたい。」という思いに導かれるまま、存分に考えることができています。
でも、考えることができるようになった理由は、「情報カードシステム」や「メタ・ノート」などの技法を活用できるようになったから、ではありません。また、EvernoteやWorkFlowyといった優れたツールのおかげ、というわけでもありません。
EvernoteやWorkFlowyのおかげで、いい加減な私でも、ある程度は、知的生産の技法を活用できるようになったことは事実です。しかし、今の私が思う存分考えることができているポイントは、具体的な技法やツールにあるのではなく、「文章を書き続ける」というあり方にあります。
「考えたい。でも、そのために何をしていいか、わからない。」から、「考えたい。だから、考えたいことを、好きなだけ、存分に、考える。」へ。私にこの変化をもたらしてくれたのは、「文章群を書き続ける」というあり方です。
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前回は、「文章群を書き続ける」というあり方の基本的なところを書きました。
今回は、「文章群を書き続ける」というあり方が、どのように「考える」ということを促してくれるのか、その道筋のポイントを考えてみます。
2.「文章群を書き続ける」というあり方が、「考える」を促す
「文章群を書き続ける」とは、「ひとりの人間によって書かれた、何らかのメッセージを持つ、作品として公開されることを前提にした、複数の文章を、期間限定ではなく、書き上げることの間隔は空いてもいいけれど、書くこと自体の間隔は空けず、書くまでのプロセスも、書こうとする文章の形式も分量も雰囲気もテーマも、制約を設けず、自由に、書き続ける。」というあり方です(「文章群を書き続ける」という積極的な社会参加のあり方)。
- 「文章群」
- ひとりの人間によって書かれた
- 何らかのメッセージを持つ
- 作品として公開されることを前提にした
- 複数の文章を、
- 「書き続ける」
- 期間限定ではなく、
- 書き上げることの間隔は空いてもいいけれど、書くこと自体の間隔は空けず、
- 書くまでのプロセスも、書こうとする文章の形式も分量も雰囲気もテーマも、何の制約もなく、自由に、
- 書き続ける。
このような「文章群を書き続ける」というあり方は、「考える」ということを促してくれます。ポイントを整理してみると、次のとおりです。
(1) ひとつの明確なメッセージを持つひとつの文章を書き上げようとすることが、思考を促す
まず、ひとつの明確なメッセージを持つひとつの文章を書き上げようとすること自体が、思考を促します。ここで促される思考は、もともと書こうとしていたメッセージや文章の範囲に限定されるものではありません。
a.不足する要素を、その文章の中に追加する
何か大切なことを思いついた気がして、その何かのことを考えたいと思ったら、その何かを、ひとつのメッセージを持つ文章の形へと書き上げようとしてみます。
すると、文章を書き上げるには、メッセージとして必要な構成要素のうち、いろんなところが足りないことに気づくはずです。
たとえば、
- 問いの不足
- その問いが問題となる背景が不足
- 問題となる状況が発生する条件の検討が不足
- 答えの不足
- 問いに対する答えになっていない
- 限定された状況でしか、答えになっていない(→問いを再設定するべきかも)
- 理由の不足
- 理由の構造は複雑なので、不足も千差万別
といった不足が浮き彫りになります。
不足が浮き彫りになったら、その不足を、ひとつひとつ考えてみます。そうすれば、大切な点に集中して、考えることができます。
b.過剰な要素を、外に出し、別の文章で受け止める
何か大切なことを思いついた気がして、その何かのことを考えたいと思ったら、その何かを、ひとつのメッセージを持つ文章の形へと書き上げようとしてみます。
すると、最初に思いついた何かや、その何かを文章の形に書き上げようとする過程で生まれたもののうちの多くは、ひとつのメッセージに向けた文章に盛り込むには過剰だと気づくはずです。
たとえば、
- 問いの背景を説明するだけで、日が暮れてしまいそうなほど長い
- ひとつの問いに対して、やたらとたくさんの答えが出てくる
- 理由の一部分だけ、他の部分と不釣り合いに、厚みがあって、量も多い
ということです。
どこかが過剰だと気づいたら、その過剰な部分を、その文章の外に追放します。ためらってはだめです。せっかく書いたからといって、無理やりその文章の中に押し込もうとすると、破綻します。断固たる決意で追放しなければいけません。
でも、過剰な部分を文章の外に追放したからといって、自分がその過剰な部分について、何かを考えたことは、まちがいありません。そして、そうして自分が考えた内容は、その文章の中に収めることができなくても、その文章の外に、ちゃんと残ります。
だから、次にやるべきことは、そのひとつの文章の外に追放した部分を、他の文章で受け止めることです。他の文章で受け止めて、その文章をまたひとつのメッセージを持つ文章として書き上げようとすることです。
こうすれば、その新しく書き上げようとする文章において、また同じ循環が始まります。無限ルーブです。永遠に、考えることが止まらなくなります。
c.関係のない要素を、外に出し、別の文章で受け止める
何か大切なことを思いついた気がして、その何かのことを考えたいと思ったら、その何かを、ひとつのメッセージを持つ文章の形へと書き上げようとしてみます。
すると、最初に思いついた何かの中には、その文章によって表現しようとするひとつのメッセージとは直接には関係のないことが含まれていることに気づきます。それから、その何かを文章の形に書き上げようとする過程で生まれたもののうちの多くが、その文章によって表現しようとしているメッセージと全然関係がないことにも、気づきます。
たとえば、あるメッセージの理由を補足するための具体例として自分の体験談を書こうとする過程で、その体験談に関連して別のメッセージが浮かんできたり、別の体験が思い出される、ということがあります。このときに浮かんできた別のメッセージや別の体験談は、もともと書こうとしていたメッセージとは直接は関係ないので、もともとの文章の中に書き込むことはできません。
だから、新しく浮かんできたメッセージや、別途思いついた体験談は、もともとの文章の外に出します。そして、そのメッセージや体験談についても、「伝えたい」「考えたい」と思ったなら、新しい文章を書き始めて、その新しい文章で、その新しいメッセージや体験談を受け止めます。
ここでも、無限ループのようなものが生まれるわけです。
(2) メッセージとメッセージとの関係を意識して、文章群を書き続けることが、思考を促す
次に、メッセージとメッセージの関係を意識して、文章群を書き続けることが、個々のメッセージに限定されない思考を促します。
メッセージとメッセージの関係・文章と文章の関係は、図式的にいえば、次の3つなので、それぞれ、簡単に検討します。
- もともとの文章が持つメッセージを構成するひとつの要素をメッセージとして持つ文章を書く
- もともとの文章が持つメッセージをひとつの構成要素として包含するメッセージを持つ文章を書く
- もともとの文章が持つメッセージをひとつの構成要素として包含するメッセージを構成するひとつの要素をメッセージとする文章を書く
a.もともとの文章が持つメッセージを構成するひとつの要素をメッセージとして持つ文章を書く
あるひとつのメッセージを持つ文章を書いていると、そのメッセージを構成する要素の一部を、さらに掘り下げたい、と思うことがあります。
図式的にいえば、次の構造を持つメッセージAがあるとして、
- A(メッセージ)
- A1(問い)
- A2(答え)
- A3(理由)
- A3-1(理由その1)
- A3-2(理由その2)
- A3-2(理由その3)
理由A3-1を詳しく検討するための文章を書きたい、という場合です。
別の言い方をすれば、これは、「A3-1(理由その1)をひとつのメッセージとする文章を書く」ということです。日本語のわかりやすさをまったく無視して表現すれば、「もともとの文章が持つメッセージを構成するひとつの要素をメッセージとして持つ文章を書く」となります。
このような文章を書くことは、最初に考えようとしていたメッセージの範囲内で、考えを深めていく効果を持ちます。なぜなら、当初はさらっと「理由は、A3-1です」で済ませていたところに、「なぜA3-1なのか? それは、A3-1-1とA3-1-2があるためだ」というように、別の思考が生まれるからです。
ひとつ下の階層を考える、といってもよいかもしれません。
b.もともとの文章が持つメッセージをひとつの構成要素として包含するメッセージを持つ文章を書く
あるひとつのメッセージを持つ文章を書いていると、「このメッセージは、別のメッセージの構成要素なのではないか」といったことを感じることがあります。そして、このメッセージを構成要素のひとつとして内包するメッセージについて考えてみたくなることがあります。
図式的にいえば、次のような構造になります。
- α(メタ・メッセージ)
- A(メッセージ)〈αにとっての、問い〉
- A1(問い)
- A2(答え)
- A3(理由)
- A3-1(理由その1)
- A3-2(理由その2)
- A3-2(理由その3)
- B(メッセージ)〈αにとっての、答え〉
- B1(問い)
- B2(答え)
- B3(理由)
- C(メッセージ)〈αにとっての、理由〉
- C1(問い)
- C2(答え)
- C3(理由)
- A(メッセージ)〈αにとっての、問い〉
先ほどの「このメッセージは、別のメッセージの構成要素なのではないか」とは、この構造に即して言えば、「このAというメッセージは、αという別のメッセージの問いでもあるのではないか」ということです。「もともとの文章が持つメッセージをひとつの構成要素として包含するメッセージを持つ文章を書く」とは、こんなαを書くことを意味します。
このような文章(αのような文章)を書くことは、当初書いていた文章(A)の意義を問い直すことにもなりますし、当初考えていたことをより広い視点から捉え直すことでもあります。
思考の階層をひとつ上げてくれる、とも言えます。
c.もともとの文章が持つメッセージをひとつの構成要素として包含するメッセージを構成するひとつの要素をメッセージとする文章を書く
あるひとつのメッセージを伝えようとする文章を書いていると、「このメッセージと直接の関係を持つわけではないけれど、このメッセージと何らかの関係を持ちそうな、こんなメッセージのことも書きたい」と思うことがあります。
先ほどの構造をもう一度書きます。
- α(メタ・メッセージ)
- A(メッセージ)〈αにとっての、問い〉
- A1(問い)
- A2(答え)
- A3(理由)
- A3-1(理由その1)
- A3-2(理由その2)
- A3-2(理由その3)
- B(メッセージ)〈αにとっての、答え〉
- B1(問い)
- B2(答え)
- B3(理由)
- C(メッセージ)〈αにとっての、理由〉
- C1(問い)
- C2(答え)
- C3(理由)
- A(メッセージ)〈αにとっての、問い〉
先ほど述べたのは、Aをメッセージとして持つ文章を書いているうちに、BやCをメッセージとして持つ文章や、B2やC3をメッセージとして持つ文章を書きたくなってくる、ということです。
BやCは、Aにとって、自らを構成要素の一部として含むメッセージであるαを構成するいち要素、です。また、B2やC3は、Aにとって、自らを構成要素の一部として含むメッセージであるαを構成するいち要素であるBやCの、さらにいち要素です。
ある文章を書いていると、その文章とこんな関係に立つ文章のことを、書きたくなることがあります。このような文章(BやCやB2やC3のような文章)を書くことは、当初書いていた文章から派生した物事を考えることでもありますし、また、当初書いていた文章を多面的に検討することでもあります。
階層でいえば、上がったり下がったり右に行ったり左に行ったり、といったところでしょうか。
3.「考えたい。でも、そのために何をしていいか、わからない。」なら、「文章群を書き続ける」をしてみる
「文章群を書き続ける」と、いろいろな方向に、思考が広がります。広がった思考すべてに収拾をつけることはできませんが、それでも、そのうちの一部分に、文章という明確なかたちを与えることができるため、少しずつでも、思考を積み重ねていくことができます。
もしも、「考えたい。でも、そのために何をしていいか、わからない。」という状態にあるなら、「文章群を書き続ける」を試してみることがおすすめです。
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