「単純作業に心を込めて」の十戒
公開日:
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ブログ, 単純作業に心を込める
目次
1.変わらないタブー
このウェブの中に、R-styleというブログが存在しています。倉下忠憲さんが10年以上続けているブログです。
10年という長い年月が流れる間、R-styleが変わらずに持ち続けてきたものがあります。それは、タブーです。[煽らない][極端な断定をしない]といった「R-styleの十戒」を守り続けながら、倉下忠憲さんは、ブログを続けてきたそうです。
2.「単純作業に心を込めて」の十戒
変わらないタブーを守り続けて、ブログを続ける。そんな10年が積み重なったブログは、芯を獲得するのでしょう。私がR-styleに感じる芯は、きっと、こうして生まれたような気がします。
願わくば、この「単純作業に心を込めて」にも、そんな芯が生まれたら。そんなことを思って、「単純作業に心を込めて」の十戒を考えてみました。
- 作品未満のものを出さない
- 結論に至る道筋を辿れない文章は書かない
- 自分の問いが存在しない文章は書かない
- ブログのためだけの試行錯誤はしない
- Googleだけで完結した試行錯誤は書かない
- 自分のエゴを守るための文章は書かない
- 違和感を感じた指標をゲームのルールに残しておかない
- 実名は出さない
- 狙いのないデザイン変更はしない
ひとつひとつ見ていきます。
(1) 作品未満のものを出さない
私は、このブログを、作品を公開する場所だと考えています。自分の考えや思いに文章を与えて、作品の形にする。それを公開する場所が、このブログです。
もちろん、その作品は、未熟なところが残ってますし、多くの場合、完成すらしていません。この意味で、私がこのブログに公開する作品は、暫定的な作品です。
でも、未熟で未完成の暫定的な作品ではあっても、作品は作品です。作品の形になったという判断を自分で下したものだけを、このブログで公開しています。
今後も、これを守ります。十戒の1つめは、「作品未満のものを出さない」です。
●
多くの場合、アイデアを思いつくのは、それほどむずかしいことではありません。特に、マンダラート、アウトライナー、マインドマップなど、アイデアを得るための技法の助けを借りれば、自分を興奮させるほどのアイデアが、どんどん出てきます。
でも、アイデアは、思いついたままのかたちにとどまっていては、あんまり大した価値を生み出せない気がします。思いついたままのかたちでは、たいてい、自分以外の第三者に伝わらないからです。自分以外の第三者に伝わらなければ、自分を興奮させることはできても、客観的な価値を生み出すことはできません。
そこで、大切なのは、自分以外にも伝わるような形へと、アイデアを整えることです。アイデアに、論理やストーリーなど、意味の構造を与えて、作品の形にすることです。
私にとって、作品とは、文章です。ですから、私の場合、作品の形にすることは、文章を書き上げることを意味します。
作品の形にすること、つまり、文章を書き上げることは、それほど簡単ではありません。そこには、産みの苦しみがあります。この産みの苦しみは、ときに、アイデアを思いついたときの興奮に冷水を浴びせます。
でも、私は、このブログでは、文章を書き上げて、作品の形にすることにこだわります。産みの苦しみを避けません。
十戒の1つめは、「作品未満のものを出さない」です。
(2) 結論に至る道筋を辿れない文章は書かない
私にとっての作品は、文章です。でも、文章にもいろいろとあります。さて、私は、どんな文章を書きたいのでしょうか。
私が書きたい文章は、「結論に至る道筋を辿ることができる文章」です。文章が提示する結論に至るまでに、どのような前提から出発し、どのような道筋を辿ったのかを、読み手が辿ることのできる文章です。
読んでくださった方々が、文章の結論に同意してくれたり、エピソードに共感してくれたりすれば、私はとてもうれしく思います。でも、それよりももっと大事にしたいのは、読んでくださる方に、文章の道筋を辿っていただくことです。
なぜ、文章の道筋を辿っていただくことを大事にするのでしょうか。
ひとつは、文章の道筋は、コミュニケーションの土台になるからです。
仮に、結論に同意できない文章があっても、結論に至る道筋を辿ることができれば、結論に至る道筋のうちの同意できない場所を、絞り込めます。前提とする事実がちがう、事実に対する評価がちがう、推論の組み立て方がちがう、など、ちがうところを分解して絞り込めば、結論に同意できない文章だとしても、コミュニケーションの土台になります。
もうひとつは、結論に至る道筋自体が、別のテーマの材料になりうるからです。
文章には、テーマがあります。そのテーマに興味や関心がない人にとっては、その文章の結論は、あんまり意味がありません。でも、そのテーマについてのその結論に至る道筋を明らかにしておけば、その道筋の途中で出てきた事実や推論が、別のテーマの役に立つかもしれません。
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なお、「結論に至る道筋を辿ることができる文章」は、面倒くさい文章でもあります。長くなりますし、ややこしくもなります。文章の流れを阻害することだってあります。
なので、「結論に至る道筋をたどることができる文章」は、正直なところ、「私が読みたい文章」だとは限りません。私だって、長くて、ややこしくて、面倒くさい文章は読みたくありません。私だって、あんまり長くなく、シンプルで、流れるように最初から最後までスムーズにたどり着ける文章を読みたいです。
ただ、私の技量を前提とすると、これはトレードオフの関係のような気がします。結論に至る道筋を辿ることを優先すると、長くてややこしくて面倒くさくなりがちで、あんまり長くなく、シンプルで、流れるような文章を書こうとすると、結論に至る道筋が辿りづらくなりがちです。
もちろん、理想は両取りです。でも、自分の技量だとトレードオフ。だとすれば、自分として、どちらを優先するか、という決断が求められます。
そして、私は、「結論に至る道筋を辿ることができる文章」を優先することを決断しました。いずれは両取りできる技量を鍛えたいと思います。でも、当面は、面倒くさい文章になってしまうとしても、「結論に至る道筋を辿ることができる文章」であることを優先します。
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そんなわけで、十戒の2つめは、「結論に至る道筋を辿れない文章は書かない」です。
(3) 自分の問いが存在しない文章は書かない
どんな文章を書きたいのか、という観点で、大切にしていることが、もうひとつあります。「自分の問いが存在する文章」です。十戒のかたちにすれば、「自分の問いが存在しない文章は書かない」となります。
この戒律は、2つのことを含みます。
a.「問い」が存在しない文章は書かない
ひとつめは、「問い」が存在しない文章は書かない、ということです。
結論には、問いが先行します。結論があるならば、問いがあるはずです。
私は、結論のある文章を書きたいと思います。であれば、その文章は、問いを持たなければいけません。
できあがった文章だけを見れば、問いが存在しないように見えるものもあります。たとえば、「店長からのおすすめの一品」の中には、明らかな問いが見当たりません。
でも、私は、こんな文章を書くときでも、問いの存在を意識しています。たとえば、先ほどの「店長からのおすすめの一品」には、
- この「単純作業に心を込めて」を、どんなブログにしたいのだろう。
- 以前書いた記事を自分で紹介して、肯定的な反応がもらえた瞬間には、新しく書いた記事に反応をもらえた瞬間とは、ちょっとちがったうれしさがある。このうれしさは、いったいなんなんだろうか。
といった問いがあります。
「問い」が存在しない文章は書かない。「問い」を起点として文章を書く。これが、この戒律のひとつめの意味です。
b.「自分の」問いが存在しない文章は書かない
もうひとつは、「自分の」問いが存在しない文章は書かない、ということです。
世の中には、いろんな問いが存在します。その中には、面白い文章を生み出してくれる問いも存在します。面白い文章を生み出してくれる問いを設定して文章を書けば、その文章は、おそらく、面白い文章になります。
でも、いくら面白い文章が書けるとしても、それだけの理由で問いを選ぶことはしません。なぜなら、私が書きたい文章は、「自分の問い」を起点とする文章だからです。
「自分の問い」とは、自分が生きるための課題として、自分自身が実際に抱えた問いです。気持よく生きるために解消したい課題、自分の心の奥底に響く問い、誰かに答えを教えてもらうのではなく、自分自身で考えて答えを見つけたい問い、そんな問いが、「自分の問い」です。「自分が当事者である問い」「当事者意識を持っている問い」とも言えます。
私が書きたいのは、「自分の問い」を起点とする文章です。
ある問いを、自分の課題として抱える。その問いに対して、自分なりの答えと理由を作る。問い、答え、理由という、この一連の過程が、自分以外の誰かに届いてくれるといいなと思って、文章を書いています。
引用元:店長からのおすすめの一品
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このように、十戒の3つめは、「自分の問いが存在しない文章は書かない」です。
(4) ブログのためだけの試行錯誤はしない
このブログのテーマは、試行錯誤です。
「自分の問いが存在しない文章は書かない」という戒律は、この試行錯誤の面から見れば、「ブログのためだけの試行錯誤はしない」となります。これが、十戒の4つめです。
ブログのためだけの試行錯誤とは、ブログ記事を書くためだけに行う試行錯誤です。書評記事を書くために本を読む、レビューを書くために文房具を買う、紹介記事を書くために新しいクラウドサービスに登録する。
このような、ブログのためだけの試行錯誤は、しません。
たとえば、2015年になってから、このブログのメインテーマは、WorkFlowyです。WorkFlowyについての試行錯誤をくり返し、その結果をブログにまとめています。
WorkFlowyのことをブログに書く理由のひとつは、ブログのネタとして、狙い目だと計算しているからです。
現時点ではあまり知られておらず、日本語情報はとても限られている。でも、優れたサービスなので、今後数年で盛り上がる可能性がとても高い。今、WorkFlowyについての情報をたくさん出しておけば、WorkFlowy情報源としてのブランドを築くことができる。
こんな計算で、WorkFlowyのいろんな情報を出しています。
しかし、ブログのためだけにWorkFlowyを試行錯誤しているわけではありません。私がWorkFlowyを試行錯誤するのは、自分がWorkFlowyを使うからです。WorkFlowyを、今よりももっと便利に、もっと気持ちよく使うため、WorkFlowyの機能や挙動を確かめたり、WorkFlowyの思想を掘り下げたりしています。
つまり、私は、WorkFlowyの現役ユーザーとして、自分がもっとうまくWorkFlowyを使うために、WorkFlowyの試行錯誤をしています。
私の試行錯誤の起点は、あくまでも、自分自身の毎日です。最初に、自分自身の毎日に彩りを加えるための試行錯誤があって、その後、その試行錯誤を文章にする、という順序です。もちろん、試行錯誤を文章にまとめてブログで公開することから得られるフィードバックは、たくさんあります。でも、試行錯誤の目的は、自分自身の毎日であって、ブログではありません。
このように、十戒の4つめは、「ブログのためだけの試行錯誤はしない」です。
(5) Googleだけで完結した試行錯誤は書かない
試行錯誤に関する戒律は、もうひとつあります。「Googleだけで完結した試行錯誤は書かない」です。
多くの場合、私が試行錯誤を始める入口は、Google検索です。達成したいことや知りたいこと、前提とする環境や条件など、適当なキーワードでGoogle検索します。
Google検索の結果からは、たくさんの情報が得られます。求める情報にずばり辿りつくことも、なくはないのですが、それよりも大切なのはそのテーマの地図です。
地図とは、基礎文献はどんなものか、信頼されている第一人者は誰か、多くの人が共通して実践しているノウハウはどんなものがあるか、といった情報です。どの範囲を調べればその分野のだいたいを押さえたことになる、という類いの情報は、地図として機能します。
この地図を得ることに関しては、Google検索の威力は絶大です。
そこで、私は、Google検索を入口にして、その後、定評のある本を読んだり、特定のアカウントをTwitterでフォローしたり、有効だとされるノウハウを試したり、といった具体的な試行錯誤を行います。
●
他方で、Googleは、とても優秀です。Googleの検索結果だけで、自分の課題に対する当面の答えとしては、とりあえず十分、ということも、ままあります。このとき、あえてその次まで行かなければ、そこで試行錯誤は完結します。つまり、Googleだけで完結した試行錯誤です。
こんなときは、この試行錯誤については、ブログに書かないことにしています。これが、「Googleだけで完結した試行錯誤は書かない」です。
たとえば、私はEvernoteをよく使っているのですが、以前、意外なノートがURL共有状態になっていたことに気づき、驚いたことがありました。そのノート自体はたいしたノートではありませんでしたので、たいした問題ではなかったのですが、「このノート以外に、意図しないでURL共有になっちゃってるノートが、ひょっとしたら存在するのではないか?」という疑念を覚え、「URL共有のノートを確認する方法はないだろうか?」という問いを抱きました。
そこで、Googleを「Evernote 共有したノート 検索」といったキーワードで検索したところ、共有したノートを検索する方法を説明した次のブログ記事を見つけました。
意外なノートが公開されていませんか?Evernoteの共有ノートを調べる方法 [ とゆ空間 ]
私が抱えた課題は、この記事で、きれいに解消されました。それ以上の試行錯誤は、何もありません。「Googleだけで完結した試行錯誤」です。
なので、私は、この試行錯誤をブログには書きませんでした。
●
では、なぜ、「Googleだけで完結した試行錯誤は書かない」のでしょうか。
Googleだけで完結した試行錯誤をウェブに追加しても、ウェブには新しい価値が増えないからです。それどころか、ひょっとすると、私が追加した記事が、もともとの記事に辿り着くことを邪魔するかもしれません。下手をすると、Google検索の質を下げてしまいます。
私は、ウェブを信頼しています。Google検索を信頼しています。試行錯誤の入口として現にうまく機能しているGoogle検索が、これからも、もっとよいものに育っていけばいいなと思っています。
ウェブは、ある意味、公共空間です。Google検索は、ある意味、公共のインフラです。
ウェブのすべての領域、あらゆるキーワードのGoogle検索の質に貢献することはできません。でも、少なくとも、自分が当事者意識を持っている問いに限っては、自分が書く文章をウェブに蓄積することで、ウェブに価値を追加し、Google検索を育てることに貢献したいと思っています。
このためにも、私は、「Googleだけで完結した試行錯誤は書かない」ことにしています。これが十戒の5つめです。
(6) 自分のエゴを守るための文章は書かない
次の戒律は、ちょっと別の観点です。
私は、このブログでは、誰かを攻撃する文章や、何かを批判する文章は書きたくないなあと思っています。これは、十戒のひとつになりえます。
そこで、これを十戒のひとつとするこの機会に、「なぜ、私は、攻撃したり批判したりする文章を書きたくないんだろう」と自問自答しました。すると、「自分のエゴを守るために文章を書くのは嫌だ」という答えが浮かんできました。
そこで、「自分のエゴを守るための文章は書かない」が、十戒の6つめです。
●
これまでのそれなりに長い人生の中で、自己嫌悪を感じることが、それなりにありました。それらをふり返り、どんなときに強い自己嫌悪を感じてきたのだろうかと考えると、思い当たるのは、「自分のエゴを守るために、自分以外の何かに対して攻撃的になったとき」です。
私は、攻撃されたり批判されたりするのが苦手です。嫌われるのも得意じゃありません。自分や自分が生み出した言説に対してネガティブな何かを向けられると、しゅんとしてしまいます。
失敗も嫌いです。失敗すると、すぐに凹みます。打たれ弱いのです。
ネガティブなものが自分に向けられたり、失敗をしてしまったときなど、私は、過剰に防衛的になって、自分のエゴを守ろうとする傾向にあります。そして、過剰な防衛反応が、自分以外の何かに対する攻撃や批判にすり替わることが、ままあります。
こんなとき、私は、もっとも強い自己嫌悪を感じます。
生きていれば、誰かを攻撃したり、何かを批判したりすることが必要な場面も、あるのかもしれません。他の誰かと競うこと、自分の考えと矛盾する言論に立ち向かうこと、これらから逃げられない場面も、たぶん、あります。(できるだけ避けたいですけれども。)
でも、攻撃や批判を避けることができないとしても、「自分のエゴを守るため」の攻撃や批判だけなら、なんとか避けることができるんじゃないかと思います。そして、「自分のエゴを守るため」の攻撃や批判を殲滅すれば、自己嫌悪の度合いは、ずいぶんと軽くなるはずです。
●
もし、今後、「単純作業に心を込めて」の記事に対してネガティブなコメントをいただいたり、彩郎に対する攻撃や批判のようなものを受けたなら、私はきっとしゅんとなって凹むことでしょう。でも、反論したり自分の言説を正当化したりすることによってエゴを守るための文章は、書きません。そうすれば、少なくとも、自己嫌悪は避けられるんじゃないかと期待します。
このような理由から、十戒の6つめは、「自分のエゴを守るための文章は書かない」です。
(7) 違和感を感じた指標をゲームのルールに残しておかない
ブログには、いろんな指標があります。PV、シェア数、Feedly登録者、記事数などです。
これらの指標は、ブログをゲームのように捉えて取り組むことを可能にします。うまく指標を組み合わせてよいルールを作ったなら、ブログは、これ以上なくおもしろい育成ゲームです。
他方で、ルールを構成する指標は、ゲーム内での行動を決めます。PVという指標を重視するルールでブログをするなら、PVを稼いでくれそうな記事を書くべきです。シェア数という指標を重視するルールでブログをするなら、バズりそうな記事を書くべきです。そのため、ブログというゲームのルールを作るときは、どんな指標を組み込み、どんな指標を外すのかを、慎重に選択しなければいけません。自分が大切にしたい指標をルールに組み込み、自分が大切にしたくない指標はルールから外します。
そこで、十戒の7つめは、「違和感を感じた指標をルールに残しておかない」です。
いくつかの指標を、具体的に見てみます。
a.はてなブックマーク
当初、私は、はてなブックマークと自分が目指したいブログとの間の距離は、すごく短いような気がしていました。はてなブックマークの人気記事に、私は、こんな文章を書いてみたい、という記事をたくさん見つけました。また、「単純作業に心を込めて」内のはてなブックマーク数ランキングと、私が書きたい記事ランキングは、わりと近いような気がしていました。
そこで、当初、私は、はてなブックマーク数という指標を重視していました。
狙っていたこともあります。たとえば、『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』を読んだあとに書いたこの3部作は、目標100はてブを達成するために、いろいろと考えて、公開したものです。
- Reading2.0の入り口に立って
- Evernote×読書「Evernoteにクラウド読書ノートを作る」(『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』Chapter-4のご紹介)
- 『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』を手引書に、ウェブを活かした個人レベルの総合的読書システムを組み立てる
でも、最近は、ちょっとちがうかも、という気がしています。
大きな理由は、はてなブックマーク数が増えても、読み手が全然見えないことです。100はてブに到達しても、私が書いた文章を、どんな人がどのように読み、どんなふうに考えたのかが、よくわかりませんでした。
今は、はてなブックマーク数という指標は、ちょっとちがうと感じています。なので、いま、私は、ブログというゲームのルールから、はてなブックマークという指標を外しています。
b.Facebookの「いいね!」とか
Facebookは、そもそも私自身が全然やっていないので、わかりません。Facebookで反応をいただいても、私からは、誰がどのように反応してくださっているのかが、全然見えません。
なので、今は、Facebook関係の指標も、ブログというゲームのルールから外しています。
c.PV
PVも、最近はチェックしていません。だいたい2000~4000くらいかなと思っています。
PVをチェックしていない理由は、PVを稼いでくれる記事と、自分が届けたい記事が、現状、ほとんど一致していないからです。
もう少し状況が変わって、PVを稼いでくれる記事と、自分が届けたい記事が、大筋で一致したら、PVという指標を、ブログというゲームのルールに復活させる予定です。
d.GoogleAdSense、Amazonのアフィリエイト
現時点では、気にしていません。
月1度のレポートによれば、合計で月2万円~3万円あたりです。クラウドサービスの自給自足はできているため、当面、それ以上は気にしないことにします。
e.今、ルールに組み込んでいる指標
なお、これらに対して、今、ルールに組み込んでいる指標は、次の3つです。
- Twitter(いただいたコメントの内容、ブログ記事を基点とするやりとりの量と質)
- Feedly購読者数
- 記事数(当面の目標は、1001です。→「「単純作業に心を込めて」を、『千夜一夜物語』みたいなブログにしたい。」)
現時点での「単純作業に心を込めて」というゲームのルールについては、別の機会に、まとめてみたいと思っています。
●
ともあれ、「違和感を感じた指標をゲームのルールに残しておかない」が十戒の7つめです。
(8) 実名は出さない
「単純作業に心を込めて」は、匿名ブログです。職場の同僚や友人は、私がブログをしていることを知りませんし、私が「彩郎」を名乗り、Twitterを楽しんでいることを知りません。
「これからも絶対秘密だ!」というほどの固い決意をしているわけではないのですが、特に必要もないので、これからも、実名を出さずにやっていきます。そんなわけで、「実名は出さない」が十戒の8つめです。
●
この戒律と関連して、自分の職業や属性も、基本的には、出しません。年齢とか、性別とか、住んでる地域とかは、プロフィールで明かしています。また、レポートの書き方やプレゼンの話などで、なんとなくの職種は書いています。でも、あえて不必要なことは書きません。
これをブログというゲームのルールとの関係でいえば、リアルの自分が持つ何かを武器にしない、ということかもしれません。
リアルの人脈で記事を広げる、リアルの仕事で得た知見をネタに記事を書く、リアルで参加したイベントのレポートを書く、などは、ブログを育てる有効な戦略です。でも、基本的には、これらを避けるということです。
何もないウェブの片隅に、「単純作業に心を込めて」という場所と彩郎というキャラクターを生み出して、文章を書くことを通じて、少しずつ、この場所とキャラクターを育てること。これが、私のやりたいゲームです。私の現実とは切り離された「単純作業に心を込めて」と彩郎を育てることを楽しんでいます。
●
関連ついでに、もうひとつ関連するタブーを書きます。家族の実名は書きません。写真も出しません。いつどこに出かけたとかも、具体的には、書きません。
クラウドサービスと家庭生活は、私がこのブログに書きたいテーマのひとつです。Evernoteで子ども成長記録ノート、WorkFlowyの夫婦共有トピック、Googleカレンダー共有で家族内ほうれん草などは、私が一生懸命試行錯誤しているテーマで、書きたいネタがたくさんあります。
これらのテーマをわかりやすく書くためのひとつの有効な手段は、具体例です。Evernote子ども成長記録ノートの具体例、WorkFlowyの共有トピックの具体例、カレンダーを共有したりファイルを添付したりすることの具体例など、現に実践していることを描写することが、わかりやすく面白い説明になります。
写真やスクリーンショットがあれば、なおよいです。特に、Evernote子ども成長記録ノートの魅力を伝えるには、現物を見ていただくのが一番だろうなあと、ずっと思っています。
でも、これはしません。
●
そんなわけで、十戒の8つめは、「実名は出さない」です。
(9) 狙いのないデザイン変更はしない
最後は、デザイン変更についての簡単な戒律です。
このブログのデザインは、いい加減です。改善すべき点が多々残されています。でも、デザインに力を注ぐことは、できるかぎり自粛するつもりです。
理由は、わりと好きだけれど全然得意ではないため、です。私は、デザインをいじることが、わりと好きです。好きなので、やり出すと夢中になります。でも、私は、デザインをいじることが、全然得意ではありません。得意ではないので、やってもやってもなかなか納得できるものになりません。結果、時間が無限に消費されます。
そこで、自粛しています。
ただし、狙いのあるデザイン変更であれば、話は別です。
この部分のデザインをこう変えれば、このようなメリットがある。だから、ここをこう変更する。こんな狙いのあるデザイン変更なら、全然問題ありません。
たとえば、私が書く文章には、上下関係を持つ見出しがたくさん出現します。そのため、見出しレベルの上下関係が大切です。そこで、見出しレベルの上下関係を、デザインの上でもわかりやすく表現することは、このブログにとって、意味があります。ですから、Hタグのデザインを変更することは、よいデザイン変更です。
このように、十戒の9つめは、「狙いのないデザイン変更はしない」です。
3.暫定的な第10の戒律=「単純作業に心を込めて」を守るべき完成品にしない
以上が、「単純作業に心を込めて」の十戒です。
- 作品未満のものを出さない
- 結論に至る道筋を辿れない文章は書かない
- 自分の問いが存在しない文章は書かない
- ブログのためだけの試行錯誤はしない
- Googleだけで完結した試行錯誤は書かない
- 自分のエゴを守るための文章は書かない
- 違和感を感じた指標はゲームのルールに残しておかない
- 実名は出さない
- 狙いのないデザイン変更はしない
今のところ、次の9つです。
十戒なのに9つなのは、「R-styleの十戒」のまねでもあるのですが、「単純作業に心を込めての十戒」を閉じた完成品にはせず、変化し続ける未完成のものにとどめておく、という意味もあります。未完成なものであることによって、思考が広がることを期待しています。
そこで、最後に、10個目の戒律について、考えを巡らせてみます。
(1) 「書き続けることをやめない」
まず思い浮かんだのは、「書き続けることをやめない」です。
私は、ブログから大きな恩恵を受けてきました。このために自分がしてきたことは、ブログに文章を書き続けることです。
これからも、受け続けることができたらと願います。であれば、これからも、ブログに文章を書き続けることが大切です。
そこで、「書き続けることをやめない」という十戒はどうでしょうか。
(2) 「守るべき完成品にしない」
「書き続けることをやめない」は、悪くはありません。が、あんまりしっくりきません。もう少し掘り下げてみます。
ブログを書き続けることで、私は恩恵を得てきました。これは事実です。
でも、私がブログから恩恵を得たことには、ともかく続けてきたこと、以外の条件があったような気がします。書き続けること以外の、何らかの条件です。この条件を探りたいと思います。
これかなあと思いついたのは、「守るべき完成品じゃないこと」です。
「単純作業に心を込めて」は、ずっと完成しないで変化し続けます。ずっと変化し続ける未完成品です。未完成品なので、変化を避ける必要はありません。未完成品なので、現状を守る必要はありません。未完成品なので、ひとつの記事を追加すれば、多かれ少なかれ、全体としてのブログも影響を受けます。でも、どんな変化が来ても、全然平気です。「単純作業に心を込めて」は、守るべき完成品ではありません。
「守るべき完成品じゃないこと」は、試行錯誤を支える条件でもあります。試行錯誤には失敗がつきものです。失敗が許されない存在に、試行錯誤は不可能です。でも、「守るべき完成品」には、マイナス方向の変化が許されません。失敗にはマイナス方向の変化が伴いますので、「守るべき完成品」には、失敗が許されません。「単純作業に心を込めて」でたくさんの試行錯誤をくり返すことができているのは、「単純作業に心を込めて」が「守るべき完成品」じゃないからです。
「単純作業に心を込めて」を守るべき完成品にせず、失敗も含んだ変化を歓迎することが、ブログからの恩恵を受けるための条件のような気がします。
●
「単純作業に心を込めて」を守るべき完成品にしないこと。
これが、暫定的な第10の戒律です。
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