ずっと完成しないで変化し続ける有機体から、暫定的な作品群を切り取るためのハサミ
目次
1.ずっと完成しないで変化し続ける有機体と、そこから切り取った暫定的な作品群を公開する場所
(1) ウェブ時代における個人的な知的生産システムのかたち
「このウェブ時代において、個人的な知的生産システムは、どんなかたちなんだろうか?」というのが、私の関心事のひとつです。ここ数日、Twitterで、Tak.(@takwordpiece)さん、flow(@cube_flow)さん、マロ。bot?(@maro_draft)さん などと交わした会話から、ひとつのかたちが浮かび上がってきました。
それは、次の2つで構成されるシステムです。
- ずっと完成しないで変化し続ける有機体
- そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所
a.ずっと完成しないで変化し続ける有機体
知的生産は、思考による生産です。思考は、知的生産の重要な構成要素です。今回感じたのは、この思考というものは、ずっと完成しないで変化し続ける有機体のようなものではないか、ということです。
思考は、常に変化し続けます。何らかのインプットによって変化し、何らかのアウトプットによっても変化し、考えることそれ自体によっても変化します。
思考は、完成しません。永遠に変化し続け、ずっと未完成のままです。
思考は、ずっと完成しないで変化し続けるのですが、だからといって、途中で別の存在に変わるわけではありません。あたかも生き物が成長しながらも同一性を保ち続けているように、思考も、ずっと完成しないで変化し続けるけれど、それ自体はひとつの同一性を保った有機的な存在であり続けます。
知的生産の重要な構成要素である思考は、ずっと完成しないで変化し続ける有機体のようなものです。
b.そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所
思考は知的生産の重要な構成要素です。でも、思考だけでは、知的生産にはなりません。知的生産は、思考による生産なので、何らかのあたらしいものを生み出さなければいけません。なんらかのあたらしいものを公開することも、知的生産の重要な一部です。
しかし、思考は、常に変化し続け、完成しません。思考は永遠に完成しないので、思考全体を完成させてから公開しようと考えていると、永遠に、知的生産は不可能です。
そこで考えられるのが、暫定的な作品群を公開する場所を持つ、という対策です。
つまり、ずっと未完成で変化し続ける思考全体から、ある程度完成している一部分を切り取って、その一部分を、暫定的に完成した作品として公開します。このとき公開された作品は、そのときその場でそこにいる誰かに届けるために切り取られたものなので、暫定的な作品に過ぎません。しかし、そのときその場にいる誰かに届けるために完成されているのですから、暫定的ではあれ、完成した作品です。
ここで大切なことは、公開できる作品の個数が限定されていない、ということです。ひとつだけしか公開できないわけではないですし、それどころか、10個、100個といった個数制限すらありません。暫定的に切り取った完成品を、公開したい個数だけ、公開することができます。
これによって、暫定的な完成品を気軽にどんどんと切り取ることができるようになります。
c.ずっと完成しないで変化し続ける有機体から、暫定的な作品群を切り取って、公開する
ずっと完成しないで変化し続ける有機体と、そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所。両者がそろうと、この2つが車輪の両輪となり、個人の知的生産はうまく回りはじめます。
何かを読んでインプットしたり、インプットした情報を元に考えたりすると、思考という有機体は、それに応じて変化します。変化し続ける有機体を眺めていると、そこから暫定的な作品を切り取ることができることに気づきます。有機体から暫定的な完成品としての作品を切り取ろうとする過程で、その有機体は大きな影響を受けます。また、暫定的な作品を公開すると、その作品に対する反応がいただけることがありますが、この反応によっても、有機体は大きな影響を受けます。これらの影響で、思考の有機体はどんどん変化し続け、そこからまた別の暫定的な作品を切り取ることが可能になります。
こうして、ずっと完成しないで変化し続ける思考の有機体は、変化を続けながら、継続的に、暫定的な完成品としての作品群を生み出し続けます。
これが、今回のTwitterから感じた、このウェブ時代における個人的な知的生産システムのかたちです。
(2) ウェブ時代における個人的な知的生産システムの、具体的なかたち
とことん抽象的な話になってしまったので、地に足をつけて、「では、このウェブ時代における個人的な知的生産システムは、具体的には、どんなものなのか」を説明します。
a.ずっと完成しないで変化し続ける有機体=アウトライナーやEvernote
まず、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」は、具体的には、アウトライナーやEvernoteです。アウトライナーでつくるひとつのアウトラインや、Evernoteのひとつのアカウント全体が、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」になります。
ひとつのアウトラインを、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」として扱っているのは、Tak.さんです。
長年アウトライナーを使っていて、少なくとも文章を書く作業に関するかぎり、書きかけの文章はすべてひとつのアウトラインに入れておくのがいちばん合理的だと思うようになった。
これに対して、Evernoteのひとつのアカウント全体を、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」として扱うことは、Evernote自体が想定している使い方のように思われます。Evernoteは自らを第2の脳やワークスペースに喩えていますが、脳もワークスペースも、それ自体が完成するものではありません。Evernoteのひとつのアカウント全体を有機体として見るならば、Evernoteは、まさしく、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」です。
なお、これに関連して、以前、私は、大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組みを作ることについて、書きました。そのときに取り上げた2つの選択肢は、アウトライナーとEvernoteです。
Evernoteやアウトライナーで文章を書くことで、大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組みを作る
大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組みになりうるものと、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」になりうるものが、どちらもアウトライナーとEvernoteであることは、偶然ではありません。文章を書くことと思考することとの密接な関係を踏まえれば、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」とは、大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組みと、ほとんど重なるからです。
b.そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所=ブログ
次に、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」は、具体的には、ブログです。無料ブログサービスを利用したブログでも、レンタルサーバー+WordPressで作るブログでも、Evernote+Postach.ioによるブログでも、何でもかまいません。自分で開設したブログでありさえすれば、それは、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」になります。
(なお、FacebookやGoogle+などのSNSも、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」になりえます。ただ、私の感覚では、この場面では、作品群のストックが大切な気がします。そして、これも私の感覚なのですが、ストックという面では、FacebookやGoogle+よりもブログのほうが向いている気がします。)
ウェブ時代とそれ以前とを比較すると、個人が簡単かつ低コストでブログを利用できるようになったことは、大きな変化です。ブログによって、個人は、自分の作品を個数無制限で公開できる場所を手に入れました。ブログ前とブログ後で、個人が自分の作品を公開するために必要なコストは、激減しました。
ブログは、個人に与えられた、自分の作品を個数無制限で公開できる場です。この個数無制限で公開できる場というブログの特徴のおかげで、ひとつひとつの作品に求めるハードルを低くすることができます。そのため、ひとつひとつの作品を、暫定的な完成品レベルで公開することができます。
c.アウトライナー・Evernoteとブログとの相乗効果
「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」(大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組み)としてのアウトライナー and/or Evernoteと、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」としてのブログは、ぐるぐる回りながら、相乗効果を発揮します。
インプットしたことや考えたことをアウトライナーやEvernoteにどんどん放り込むと、そこに何らかの思考が育ちます。そこにひとつの何らかのまとまったものが見えたら、暫定的な完成品としての作品を、そこから切り取ります。切り取るとは、すなわち、ブログエントリにするために、ひとつのまとまった文章を書き上げるということですが、この作業において、アウトライナーやEvernoteによる「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」は、育ちます。そのブログエントリにはまらないものがアウトライナーやEvernoteの別の場所に保管されたり、ブログエントリを補強するためにしたインプットがアウトライナーやEvernoteの中に蓄積されたり、といったことが頻繁に起きるためです。
アウトライナーやEvernoteからひとつのブログエントリを書き上げる過程で、アウトライナーやEvernote自体が豊かに育ちます。豊かに育ったアウトライナーやEvernoteからは、また別のブログエントリが生まれます。公開されたブログエントリを起点とするやりとりで、アウトライナーやEvernoteはさらに育ち、そこからまた新たなブログエントリが書き上げられる過程が始まります。
こうして、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」(大量の書きかけの文章群全体を管理する仕組み)としてのアウトライナー and/or Evernoteと、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」としてのブログは、ぐるぐる回りながら、アウトライナーやEvernoteそのものを育てながら、たくさんの完成品としてのブログエントリを生み出し続けます。
2.ずっと完成しないで変化し続ける有機体から、暫定的な作品群を切り取るためのハサミ
(1) 暫定的な作品群を、うまく切り取るために、ハサミを使う
このように、私は、ウェブ時代における個人の知的生産システムは、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」と「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」によって構成され、前者がアウトライナーやEvernoteで、後者がブログなのではないかと考えています。
ですが、仮にそうだとすると、個人の知的生産システムをうまく回すためには、「有機体から、暫定的な作品群を、うまく切り取る」ということが大切になります。いくら「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」が豊かに育ち、また、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」を整えたところで、切り取り作業がうまくいかなければ、暫定的な作品群を切り取ることができません。
そこで、「どのように、暫定的な作品群をうまく切り取るか?」という課題を考えてみると、2つの方向性があるように思います。
ひとつは、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」を、切り取りやすいかたちに育てる、ということです。アウトラインの構造をきちんとつけておいたり、Evernoteの中のノートをノートブックやタグやノートリンクで構造化することは、このための手段となりえます。
でも、もうひとつ別の方向性があって、それは、「暫定的な作品群を、うまく切り取るために、ハサミを使う」というものです。ここでは、これを考えてみます。
(2) 切り取るためのハサミの一例としての、AppleScript
切り取るためのハサミの役割は、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」の一部を、「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」に公開するために、切り取ることです。
この役割を果たすハサミとは、いったい、どんなものでしょうか。
メタファーで考えていてもイメージの話になってしまいますので、結論として具体例を紹介すると、マロ。さんによるAppleScriptは、このハサミにあたります。
- omnioutlinerをブログの下書きに使うためにhタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
- omnioutliner 4 proで選択したアウトラインをulタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
そこで、以下、OmniOutlinerによるアウトラインとブログを想定しながら、マロ。さんのAppleScriptがなぜハサミなのかについて、私の考えをまとめてみます。
a.ずっと完成しないで変化し続ける有機体としての、OmniOutlinerのアウトライン
OmniOutlinerは、Mac用の定番アウトライナーです。OmniOutlinerでひとつのアウトラインを作り、そのアウトラインの中に、思いつきも書きかけの文章も書き上げた文章もすべて入れてしまえば、そのアウトラインは、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」となります。
b.暫定的な作品群を公開する場所としてのブログ
OmniOutlinerのアウトラインで思考を進めて文章を書き、ある程度まとまったものが見えてきたら、ブログエントリにするために、文章を書き上げます。
OmniOutlinerは、動作も軽いですので、アウトラインの中で文章を書くことも、十分可能です。
しかし、OmniOutlinerは、ブログエディタではありません。そのため、OmniOutlinerから、直接に、ブログにエントリをアップロードすることはできません。OmniOutlinerで書き上げた文章を、最終的にブログにアップロードするためには、たとえばMarsEditのようなブログエディタを使うか、ブラウザからブログのダッシュボードに入るかする必要があります。
このための操作には、ふつう、通常のコピー&ペーストを使います。OmniOutlinerのアウトラインの中にある、書き上げた文章の部分を全部選択してコピーして、MarsEditなどの新規ページ作成ウィンドウにペーストします。
この操作をする場合、その後、MarsEditでHTMLなどを入力し、整形する必要があります。地道な手作業です。
しかし、もともとの文章は、OmniOutlinerのアウトラインに入っていたのです。アウトラインには、構造があります。この構造を、そのままHTMLに反映させることができれば、手間は激減します。
せっかくアウトラインに構造があるのに、コピー&ペーストの過程でこの構造が失われてしまい、再びMarsEditなどで構造を書き込む必要があるのは、なんとももったいなく、二度手間です。「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」から「暫定的な作品群」を切り取る作業が、どうもうまくいっていません。
何かよい手はないでしょうか。
c.OmniOutlinerからブログエントリ(のためのHTML)を切り取るためのハサミとしての、AppleScript(byマロ。さん)
ここで活躍するのが、マロ。さんによるAppleScriptです。
omnioutlinerをブログの下書きに使うためにhタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
omnioutliner 4 proで選択したアウトラインをulタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
これらのAppleScriptは、OmniOutlinerのアウトライン構造を活かしながら、アウトラインの任意の部分を、HTML形式で書き出すためのものです。
「omnioutlinerをブログの下書きに使うためにhタグでエクスポートするAppleScript」を使えば、アウトラインの構造をそのままに、hタグをつけることができます。
「omnioutliner 4 proで選択したアウトラインをulタグでエクスポートするAppleScript」を使えば、アウトラインの構造そのままを、ulタグで表現できます。
これらのAppleScriptを使えば、OmniOutlinerからMarsEditにコピー&ペーストした後に、再びHTMLで構造をつける必要がありません。ムダな二度手間を回避できます。
つまり、これらのAppleScriptは、「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」から、「暫定的な作品群」を切り取る作業を、うまく進めるためのものです。これらのAppleScriptは、まさしく、暫定的な作品群を切り取るためのハサミです。
3.まとめと関連Twitter
(1) まとめ
アウトライナーやEvernoteという「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」と、ブログという「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」とが、ウェブ時代における個人の知的生産システムを構成する。両者を車輪の両輪として、個人の知的生産システムは、うまく回り始める。
しかし、ずっと完成しないで変化し続ける有機体から暫定的な作品群を切り取る作業がうまくいかないと、うまく回らない。そこで、「どのように、有機体から、暫定的な作品群を、うまく切り取るか?」という課題が大切になる。
この課題を解決する方向性は2つあるが、ひとつは、「暫定的な作品群を切り取るためのハサミを使う」というものである。
OmniOutlinerのアウトラインを「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」として使い、ブログを「そこから切り取った暫定的な作品群を個数無制限で公開できる場所」として使っているなら、マロ。さんが作ったAppleScriptは、強力な「暫定的な作品群を切り取るためのハサミ」になる。
- omnioutlinerをブログの下書きに使うためにhタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
- omnioutliner 4 proで選択したアウトラインをulタグでエクスポートするAppleScript|マロ。|note
(2) 関連ツイート
ここで述べられているアウトライナーも、固定したアウトラインを完成させるためのものではない。ある意味ずっと未完のアウトラインから、継続的に何かが生み出される。→Kay の Smalltalk とアウトライナー | idea square http://t.co/qx2wD27ZrX
— 彩郎 (@irodraw) 2014, 12月 8
以前、私は、アウトライナーを、完成した体系を作り上げるための道具だと思っていました。アウトラインは、完成されるべきもので、完成されたアウトラインは固定されたもの、というか。プロダクト型。
これに対して、@takwordpiece さんにとって、アウトラインは、プロセスなんですね。
— 彩郎 (@irodraw) 2014, 12月 8
@irodraw @takwordpiece 文章とは本来永遠に完成しないものだから、読んでもらうためにはそれを暫定的に切り出す必要がある。その道具がアウトライナーかなと思います。人の機能でいえば、脳と口のような。
— flow (@cube_flow) 2014, 12月 9
仮のものであるアウトラインから、その場その場で他者(や自分自身)に伝えるための何かを切り取る、というイメージかな。なるほど。有益で強力な考え方。“@takwordpiece: @cube_flow @irodraw アウトラインは常に「仮のもの(for now)」”
— 彩郎 (@irodraw) 2014, 12月 9
@irodraw @takwordpiece @cube_flow 構造や構成は、状況や思考によっていかようにも変わるが、情報はや現象は変わることない。だから、構造はいつまでも仮であり、唯一の正解はなく流転し変わっていくことも良くあるからこそアウトライナーは有益だと感じています。
— マロ。bot? (@maro_draft) 2014, 12月 9
永遠に完成しないアウトラインと、
そこから継続的に生み出される、一応の完成形としての、文章群。
— 彩郎 (@irodraw) 2014, 12月 9
@irodraw だからこそ暫定的な完成群を切り取りやすいハサミのようなものが必要なのかもしれませんね。
— マロ。bot? (@maro_draft) 2014, 12月 9
@irodraw その一つがが昨日のScriptであったりするのかもと。
— マロ。bot? (@maro_draft) 2014, 12月 9
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