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村上春樹は、どのように、読みやすい文章を書くのか?

公開日: : 書き方・考え方

1.村上春樹は、どのように、読みやすい文章を書くのか?

村上春樹の小説の魅力(のひとつ)は、読みやすい文章にあります。

私にとって、村上春樹の小説は、物語の点では、深くて難解です。物語が意味するものや、物語の文学的価値について、私はぜんぜん理解できていません。

しかし、そんな私でも、村上春樹の小説を読むのは、楽しくて気持ちがよいことです。この理由は、物語を紡ぐ文章が読みやすいからです。物語を理解することはできなくても、村上春樹の文章に浸るだけで、気持ちが落ち着きます。

村上春樹の小説を読むと、なぜ村上春樹はこんな読みやすい文章を書けるのだろうかと、しばしば圧倒されます。文章を書く才能やセンスに恵まれているためかもしれません。あるいは、文章を書く技術を鍛えてきたため、膨大な文章を読み書きした経験の蓄積のためかもしれません。でも、それだけではないような気もします。

村上春樹は、どのように、読みやすい文章を書くのか。この疑問を考えてみます。

2.村上春樹が読みやすい文章を書くために採用する、シンプルな作業

(1) 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』(村上春樹・文春文庫)は、村上春樹のインタビュー集です。インタビューの時期は1997年から2011年であり、この時期は、村上春樹の作品でいうと、『アンダーグラウンド』発行直後から、『1Q84』のBook1とBook2を書き終えた直後までに該当します。

このインタビュー集では、多くのインタビュアーが、村上春樹に対し、「村上春樹はどのようにして作品を書くのか?」という質問を繰り返しています。この質問に対する村上春樹の答えの中に、私が抱いている「村上春樹は、どのように、読みやすい文章を書くのか?」という疑問に対するヒントがありました。

該当箇所を、いくつか引用します。

(2) いくつかのインタビューより

a.「「スプートニクの恋人」を中心に」より

村上 いまになってみると、三日で書けない短編は短編じゃないと思うようになった(笑)。もちろん三日かけて書いたあとは、十回も十五回も、グシャグシャ書き直しますよ、何日かかけて。でも、ファースト・ドラフトは三日間。三日でひと息で書き終わって「よし」と思わないとダメなんです。

—-書き直しをずいぶんされるというのは、前にも聞いたことがありますが。

村上 僕は徹底的に書き直します。『スプートニクの恋人』だって、書き上げてから一年以上かけて、何十回か書き直してる。

—-そこで行われるのは、おもに文体を整える作業?

村上 そう、ネジ締めです。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』p.67-68

村上春樹によれば、『スプートニクの恋人』は、とりわけ文体に力を注いで書いた小説だそうです。そのため、村上春樹は、徹底的に、文体を整えるための書き直し作業を行いました。それが、一年以上かけて、何十回も、です。

b.「「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」より

村上 初稿の段階では彼が犯人であることは、僕にはわからなかった。結末近くになって—-三分の二くらいだったかな—-それがはっとわかったのです。だから第二項の段階で、五反田君の出てくるそれまでのシーンを、その結末に沿って念入りに書き直していったのです。

—-ということは、そういうのも、あなたが書き直しをする理由のひとつになっているのですか? 初稿を書き終えた時点で話の結末を知って、その結末に合わせて前の部分を書き直していくということが。

村上 そのとおりです。初稿はだいたいにおいて混乱しています。ずいぶん何度も書き直しをします。そのままでは作品になりません。

—-だいたい何度くらい改稿をするのですか?

村上 場合によって違うけど、だいたい四回か五回くらいかな。初稿に六ヶ月をかけた場合なら、同じくらいの長さを改稿にかけます。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』p.223

村上春樹は、あらかじめ結末を決めてから書く、ということをしないそうです。この話を知ったとき、私は、「それなのにどうしてあんなにも整合性のある物語になるんだろう。」という疑問を抱いたものです。

この疑問に対する答えも、ここで明かされているとおり、何度も書き直す、ということなんですね。

c.「せっかくこうして作家になれたんだもの」より

—-一度書き上げた原稿に繰り返し手を入れて完成させていくやり方も、村上さんと似ているのでしょうか。

村上 小さなひとつのフラグメントから始めて、それをどんどん自由に膨らませていって、ひとつの物語にする。第一稿はほとんど一息で書いてしまう。書き終えてから何度も何度も書き直す。情景をなるたけヴィジュアルに書き込む。文章を必要以上に重くしないで、物語のフットワークを活発に保っておく。説明しすぎない。物語にすべてを語らせる。はっきりとした起承転結はつけないけれど、物語が始まって終わったという感覚がそこにはなくてはいけない。そういうようなところでは、僕とカーヴァーの書き方の姿勢は基本的に似ているんじゃないかと思います。出来上がったものはとても似ていませんが。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』p.277

村上春樹は、「第一稿はほとんど一息で書いてしまう。書き終えてから何度も何度も書き直す。」ということを、自分の執筆スタイルとして、明確に把握しています。

(3) 村上春樹の文章は、何度も何度も書き直される

3つのインタビューから、一部を引用しました。3つの引用部分に共通するのは、「何度も何度も書き直す」ということです。村上春樹は、書き終えてから何度も何度も書き直します。

村上春樹の文章は、何度も何度も書き直されます。だからこそ、村上春樹の文章は、こんなにも読みやすいのではないかと、私は思います。

3.何度もていねいに書き直すという基本

(1) 何度もていねいに書き直すのは、基本

この、自分が書いた文章を自分で何度もていねいに書き直す、という作業ですが、私自身、自分で体験する機会がありました。結城浩先生の『文章教室』の第8回のテーマが、まずはどんどん書いて、そのあとでていねいに書き直しましょう、というものだったためです。

文章教室 第8回 問題編

『文章教室』(結城浩)練習問題実践記録・第8回「まずはどんどん書きましょう」

また、倉下忠憲さんは、「R-style » 丁寧に書きさえすれば」で、「何度も何度も読み返す」ということを強調されていました。これは、何度も何度も書き直す、ということと、同じ意味ではないかと思います。

丁寧に書くことは、ゆっくり書くこととは違う

最初は書き殴ってもよいのだ。むしろそうすべきだろう

それを、後から整えてゆく

R-style » 丁寧に書きさえすればより)

何度もていねいに書き直す、ということは、文章を書くための知識や技能以前の、ひとつの基本なのではないかと思います。

(2) なぜ、何度もていねいに書き直すことができるのか

他方で、何度もていねいに書き直すのは、骨が折れます。また、時間もかかります。

ましてや、まがりなりにもひととおり完成した文章を、これで一丁あがり、としないで、何度もていねいに書き直すのは、余計に疲れそうです。

では、村上春樹は、なぜ、何度もていねいに書き直すことができるのでしょうか。

再び、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』(村上春樹・文春文庫)から引用します。

村上 最初にひとつのイメージがあり、僕はそこにあるひとつの断片を別の断片に繋げていきます。それがストーリーラインです。それから僕はそのストーリーラインを読者に向かって提示し、説明する。うまく呑み込ませる。何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない。「いや、自分さえわかっていればそれでいいんだ」という態度では、ほとんど誰もついてきてくれない。簡易な言葉と、良きメタファー、効果的なアレゴリー。それが僕の使っているヴォイスというか、ツールです。僕はそのようなツールを使って、ものごとを注意深く、そしてクリアに説明します。

—-そういうものは自然にあなたのもとに訪れるわけですか?

村上 僕は特に知的な人間でもないし、強い自負心のある人間でもない。僕は、僕の本を読む人々とだいたい同じ人間です。僕は若いころジャズクラブを経営していて、カウンターの中に入ってカクテルを作ったり、サンドイッチを作ったりしていました。本を読むのはとても好きだったけど、小説家になろうと志していたわけではありません。どちらかといえばごく普通の人間です。何かの加減でひょいと小説家になっちゃっただけです。それは何というか、天からの恵みみたいなものだったんです。だからこそ、ものを書くことに関しては謙虚でなくてはならないといつも考えているのです。

「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011』p.210-211

おそらく村上春樹にとっても、書き上げたものを、何度も何度も書き直すことは、骨の折れる作業です。それでも、村上春樹は、文章を読み手に呑み込んでもらうために、とびっきり親切であろうとしています。村上春樹ですら、「ものを書くことに関しては謙虚でなくてはならない」といつも考えていることを、胸に刻もうと思います。

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