ルサンチマンに負けない生き方。自分の条件を既定と捉え、その条件のもとで自分なりの生き方を描く。
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単純作業に心を込める
私はこれまでの人生で、多くの本に助けられてきました。その中でも、特に助けてもらった本が、『実存からの冒険』(西研著・ちくま学芸文庫)です。
この本は、ニーチェ、ハイデガー、フッサールといった、実存主義と呼ばれる思想の系譜を解説した本です。著者の西研さんが、実存主義の思想に絡めて、生き方や表現のあり方などを、存分に語っています。
この本にどう助けてもらったかを一言で表現すると、「この本のおかげで、ルサンチマンとのつきあい方が、多少上手になった。」ということかなと思います。
残念ながら、『実存からの冒険』は現在絶版です。
でも、西研さんは、NHKの「100分de名著」シリーズで、ニーチェを解説し、この番組が書籍化されています。(Kindleでも読めます。)
名著01 ニーチェ『ツァラトゥストラ』:100分 de 名著
『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』(西研著・NHK「100分de名著」ブックス)
この本と『実存からの冒険』は、共通する部分がたくさんあります。そこで、『実存からの冒険』が絶版な現段階で私がおすすめするのは、この『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』(西研著・NHK「100分de名著」ブックス)です。
そこで、この本の紹介をかねて、「ルサンチマンをどう克服するか」という問いに対する西研さんの答えを、私なりにまとめます。
目次
1.ルサンチマンとは、何か
「ルサンチマン」とは、ニーチェが用いた用語です。ルサンチマンとは、何でしょうか。
ややあらっぽく言えば、「うらみ・ねたみ・そねみ」です。厳密にはもっと複雑な概念でしょうが、「うらみ・ねたみ・そねみ」と捉えておけば、大筋では問題ありません。
まず「ルサンチマン」は「はじめに」でも紹介しましたが、フランス語でressentimentと書きます。sentiment(感情)に繰り返しの re がつくので、感情が振り払えず反復するというつくりの言葉ですが、じっさいには「うらみ・ねたみ・そねみ」を意味します。ニーチェが用いたことで、思想の用語として広く知られるようになりました。location 347
ルサンチマンは、やや屈折した、反動的な感情です。
これらのルサンチマンの根っこにあるのは、自分の苦しみをどうすることもできない無力感です。そして絶対認めたくないけれども、どうすることもできないという怒りの歯ぎしり。そこで、この無力からする怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動きが起こる。これがルサンチマンです。location 367
単に自分に対しての無力感を感じているだけではなく、この無力からくる怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとするような、反動的な心の動きが、ルサンチマンの特徴です。
「自己を脅かす他者を否定することによる自己肯定」、すなわち「ルサンチマン」location 1131
2.ルサンチマンは、なぜ問題か
このルサンチマン、なぜ問題なのでしょうか。
ニーチェはいろいろ言ってますけれども、個人レベルで大問題なのは、「ルサンチマンを抱えていると楽しくない。」ということです。うらみ・ねたみ・そねみを抱えながら生きていくのは、楽しくありません。
ルサンチマンを抱えて生きるのは、なぜ、楽しくないのでしょうか。
西研さんの言葉を引用します。
このルサンチマンがなぜ問題かというと、ぼくなりの言い方をすると「自分を腐らせてしまう」からです。よりニーチェに即していいますと、悦びを求め悦びに向かって生きていく力を弱めてしまうことがまず問題です。そして「この人生を自分はこう生きよう」という、自分として主体的に生きる力を失わせてしまうことが二つ目の問題点です。ルサンチマンという病気にかかると、自分を人生の主役だと感じられなくなってしまうのです。location 370
まず第一に、それは「自分が人生の主人公であるという感覚」を失わせる。location 984
さらにもう一つ、「みずから悦びを求めて汲み取ろうとする力」を失わせる。llocation 986
こんな状態になると、楽しくないです。
なぜルサンチマンが「自分を腐らせてしまう」のかについては、西研さんの、次の記述も、ぐさっときます。
ルサンチマンとは「ブーたれ」ですから、自分から動く能動性を失わせてしまい、「文句をいう」という微弱な快感とひきかえに、積極的に悦びを汲み取ろうとする力を損ねてしまうのです。location 987
3.ルサンチマンを、どう克服するか
ルサンチマンを抱えて生きるのは、楽しくありません。ルサンチマンは、克服できるものなら、克服した方がよいです。
では、ルサンチマンを、どう克服するとよいでしょうか。
(1) 自分の条件を「既定」と捉える
まず、西研さんは、次のように言います。
ルサンチマンに負けないで生きていくためには、マイナスを「既定条件」(あらかじめ定まったもの)として考えることは、必要であると思います。location 980
ルサンチマンを生むのは、自分が置かれた条件に対する不満です。お金持ちに生まれなかった、容姿が悪い、上司に恵まれない、モテない、収入が低い、……。こんな自分が置かれた条件、特にマイナスの条件に対する不平・不満が、ルサンチマンを生みます。
でも、ルサンチマンは、マイナスの条件に置かれれば必然的に生まれるものではありません。ルサンチマンは、「たら・れば」なので、ルサンチマンが生まれるには、単にマイナスの条件に置かれていることだけではなく、そのマイナスの条件について「このマイナスがなければ、もっと幸せなのに。」などと「たら・れば」を考えることが必要になります。
逆に言えば、「たら・れば」をなくせば、ルサンチマンは生まれません。
そこで、自分が置かれた条件を「既定」と考えることによって、「たら・れば」をなくす、という方策が浮上するわけです。
(2) 自分の条件のもとで、自分なりの生き方を描く
次に、自分の条件を「既定」と捉えた上で、そこからどうやれるか、がポイントです。
自分の条件が「既定」だとすれば、その条件に不平不満を言っていても仕方ありません。他方、自分の条件が「既定」だとしても、それだけで自分の全部が決まるわけでもありません。その条件のもとでどうやるか。この点に、ある程度の自由が残されています。
では、その条件のもとで、どのように生きるとよいのか。西研さんの言葉を引用します。
そのとき「この自分をとりまく条件のなかで、どうやって自分は悦びを汲み取るかを考えるしかない」ということになる。自分の条件を呪ってもしかたがない。そうではなく条件は「既定」のものと考える。それぞれの人間が、それぞれの条件のもとでどうやって悦びを汲み取るかというゲームをやっている。location 998
「それぞれの人間が、それぞれの条件のもとでどうやって悦びを汲み取るかというゲームをやっている。」という形で世界を把握して、自分も、自分の条件のなかで、どうやって悦びを汲み取るかというゲームに参加する、ということです。
生きることを、キャンパスに絵を描くことにたとえると、こんなことになります。
たとえば、美しいまっさらのキャンバスがあって、そこに自在に絵を描いていけるなら「ゼロからのスタート」ですから気持ちがよいでしょうが、じっさいはそんなことはない。人はみな、しみがあったりデコボコになったりしているキャンバスのもとで生きていくしかない。しかも、人によってかなりちがいがある。しみが目立たないキレイなキャンバスに恵まれた人もいれば、巨大なしみだらけのものもある。しかしそれはもう「定まったもの」である。このしみだらけでデコボコのキャンバスに文句をつけるのではなく、その上にどうやって自分なりの絵を描くか、それはあなた自身に委ねられている location 1002
(3) 自分なりの生き方を描くために大切なことは何か
自分の条件を「既定」と捉えて、その条件のもとで自分なりの生き方を描いていこう、と思えたとして、では、どのように自分なりの生き方を描いたらよいのでしょうか。
この世界を、どうやって悦びを汲み取るかというゲームという形で捉えるとして、では、どんな悦びを汲み取ろうとすればよいのでしょうか。
これについての西研さんの答えは、こんな感じです。
一つ補足しておきます。「悦び」といいましたが、どういう悦びを求めればいいのでしょうか。もちろんこれは、あなたが決めるしかないのです。location 1008
正しい悦びと正しくない悦びがあるわけではないのだから、自分が決めるしかない、ということです。
では、自分が求める悦びは、どうやったらわかるのでしょうか。
そうではなく、「私が求めているのは何だろうか」と自分自身に静かに尋ねてみればいい。私が大切にしてきたものは何だったかな、どんなことが自分にとって悦びだったかな、とあらためて自分に問いかけること。この問いかけだけが、生きる方向を教えてくれるのです。location 1010
自分自身に静かに問えばよいし、それ以外に方法はない、というのが、西研さんの答えです。
4.まとめ
ルサンチマンは、「うらみ・ねたみ・そねみ」や「ブーたれ」。自分が置かれた条件(通常はマイナスの条件)に対して、「もしこの条件がなかったら、もっと自分は幸せなのに。もっと毎日快適なのに。」という「たら・れば」の不平不満を感じること。
ルサンチマンが問題なのは、ルサンチマンを抱えて生きることが楽しくないため。ルサンチマンを抱えていると、「自分が人生の主人公であるという感覚」がなくなってしまうし、「みずから悦びを求めて汲み取ろうとする力」も失われてしまう。
ルサンチマンを克服するには、自分のマイナスを既定条件と捉えて、その条件のもとでどんな悦びを汲み取ることができるのか、本気で考えること。このためには、正しい悦びなんてものはないので、自分が求める悦びがどんなものなのかを確かめるために、自分に静かに問うしかない。
『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』(西研著・NHK「100分de名著」ブックス)は、よい本です。おもしろいです。ワクワクします。また、役に立ちます。自己啓発本よりもずっと役に立ちます(立ってます)。
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