為末大『諦める力』を、持続可能な毎日ための教科書として読む
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単純作業に心を込める
目次
1.『諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない』(為末大)
為末大さんの『諦める力』を読みました。よい本でした。読んでよかった。しかも、このタイミングで読めてよかったです。
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私は、陸上というものに興味がありません。なので、現役時代の為末大さんのことを、ほとんど知りません。何も知らない、といってもまちがいではないと思います。(この本を読んでからGoogleさんに教えていただいたのですが、為末さんは、アスリートとしての実績も圧倒的ですねえ。こんなの常識なのかな。)
でも、為末さんのTwitterは、ちょくちょく目にする機会がありました。そして、Twitterでの為末さんの発言内容は的確でしたし、なにより、しっかりした判断基準を持っているように感じられました。そのため、「すごい人がいるもんだなあ」と、為末さんに対して、漠然とした好印象を抱いていました。
そんな中、先日、Kindleストアで、為末さんの『諦める力』を見つけました。何ヶ月か前の月替わりセールだったような気がします。為末さんに対して抱いていた漠然とした好印象に加えて、タイトルである「諦める力」に、共感を覚えました。そのため、とりあえず購入しました。
でも、すぐに読み始めることはしませんでした。そのときは、他に読みたい本がたくさんあったので。そこで、Kindle内の、気が向いたらいつか読む本のコレクションに放り込み、そのまま数ヶ月の時が流れました
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ところで、最近の私のテーマは、「持続可能な毎日を生き続ける」です。タスク管理やEvernote日記や仕事スタイルやもろもろを、「持続可能な毎日を生き続ける」ということと関連して、見直しています。
「持続可能な毎日を生き続ける」というテーマで文章を書いていたら、ふと、為末さんの『諦める力』を思い出しました。ひょっとしてここにヒントがあるんじゃないだろうか、という気がしました。Kindleで『諦める力』を開いて、読み始めました。これが昨夜のことです。
「はじめに」の最後に、こんな言葉がありました。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」location 18
この本の「諦める」という言葉のイメージは、こういうものだそうです。
この言葉で、「諦める」ということについて強く惹かれてからは、あっという間でした。昨夜、今朝の通勤時間、今日の昼休み、今と、『諦める力』に没頭し続けて、一気に読んでしまいました。そして今に至ります。
「持続可能な毎日を送り続ける」というテーマを考えているこのタイミングで、この本に出会えたこと、本当によかったと思います。
こんなふうにざーっと読んでしまったのがちょっともったいないくらいのよい本でしたので、腰を据えてふり返るためにも、ブログ記事としての文章をまとめます。まとめる視点は、「持続可能な毎日を生き続ける」です。『諦める力』を「持続可能な毎日を生き続ける」ための教科書として読む、という視点で、まとめます。
2.「持続可能な毎日を生き続ける」ための教科書としての、『諦める力』のポイント6個
「持続可能な毎日を生き続ける」という目標との関係で、私は、『諦める力』から、次の6個のポイントを教えていただきました。
- 自分が生き延びられるフィールドを探す
- 成功談の影の失敗談を自覚する
- 全力で挑み、自分で勝利条件を設定する力を獲得する
- 「仕方がある」と「仕方がない」の区別と、「仕方ない」という救いの自覚
- 「たかが」人生だけど、だからこそ「あえて」思いっきり生きる
- 「ベストな選択」ではなく、「ベターな選択」という足し算を続けた先の納得感
関連する部分を本書から引用させていただきながら、順番にひとつずつまとめます。
(1) 自分が生き延びられるフィールドを探す
為末さんは、まず、自分が勝てるフィールドを選ぶことの大切さを説きます。現役時代は、自分の体にはあまり合っていない上に、激戦区の100mを諦めて、自分の体にフィットする上に、比較的競争が少なかった400mハードルというフィールドを選びました。
現役生活を引退した後のあり方も、とてもとても自覚的です。
現役生活を引退してどのような業種に進もうかと考えたときも、僕は「自分が勝てる場所」をかなり意識した。location 208
僕の今の目標は「勝つこと」以前に「生き延びる」ことである。location 215
自分が戦えるフィールドを選ぶことは、競技スポーツで勝つためだけでなく、この人生を生き延びるためにも、大切な考え方です。
人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。287
自分が戦えるフィールドを選ぶ際には、「さほどがんばらなくてもできてしまうこと」を選ぶことが大切です。がんばっているのにできないことは、自分が戦えるフィールドではないのかもしれません。
さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か。今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか。そういうことを折に触れて自分に問うことで、何かをやめたり、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う。location 1422
自分が戦えるフィールド、自分が生き延びられるフィールドを探すことは、持続可能な毎日を生き続けるための基本戦略です。
(2) 成功談の影の失敗談を自覚する
『諦める力』の中には、諦めずに続けることで成功したヒーローの影には、諦めずに続けたけれど成功できなかった非ヒーローがたくさん存在する、ということが、繰り返し書かれています。
「やめなかったからこそできた」 こう主張する少数派の言葉に嘘はないが、現実の社会においては、はるかに敗者のほうが多いという事実はわかっておくべきだ。location 554
世の中には、成功談があふれています。成功談の方が、失敗談よりも、はるかに多く流通しています。でも、実際には、成功の経験よりも失敗の経験の方が、はるかに多いのが現実です。
為末さんは、これを、成功談と失敗談のバランスとして表現します。
成功談と失敗談のバランスは、控えめにいってもよくない。location 902
成功談は、勇気づけられます。元気が出ます。参考にもなります。でも、成功談の影には、それよりもずっと多くて、場合によってはもっと重たい失敗談が、たくさん存在しています。
その影にある失敗談を見ないで、成功談だけに勇気づけられてやる気を出してがんばっても、そのやる気やがんばりは、持続可能ではありません。
成功談を読んで勇気づけられたときは、同時に、その影にあるはずの失敗談にも意識を向けるべきです。これによって、成功談に振り回されず、かつ、成功談からいろんな知恵を受け取ることができるのではないかという気がします。
(3) 全力で挑み、自分で勝利条件を設定する力を獲得する
為末さんは、「自分なりのランキングを持つ」ということの大切さを語っています。自分なりのランキングを持つと、他者からの評価に振り回されずに済む、ということです。
自分なりのランキングを持つということは、他者評価自体を客観的に見ることにほかならない。location 1140
「持続可能な毎日を生き続ける」ために大切なのは、他者が作った基準に過剰適用しないことではないかと、私は思います。他者が作った基準は、基準自体がどんどんインフレします。いったん基準を満たしても、次にはもっと高い基準を求められ、際限がありません。
そこで、自分なりの基準を持つことが大切です。
それを念頭に置いたうえで、自分はどこでどこまで勝ちたいのか、そのうえで何を成し遂げたいのかを考えておくべきだ。location 1245
「勝ち」をめざすにしても、自分なりにきちんと勝利条件を設定しておかないと、他者評価に依存することになってしまい、結局、際限なく高い基準を求められることになってしまいます。
「測る」とは、勝利条件の設定にほかならない。どうすれば勝ちなのかが決まって初めて戦略が生まれる。社会や人生における勝利条件として万人に共通なものはない。だから自分や組織で決めるしかない。location 1060
このように、勝利条件の設定は、きわめて大切です。でも、勝利条件の設定をするには、全力で挑む、ということが必要不可欠です。
転ぶことや失敗を怖れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、僕はそれこそが一番のリスクだと思っている。location 482
極論かもしれませんが、私は、何かに全力で挑むことのいちばんの価値は、ここにあると考えます。勝利条件を設定する力を身につければ、およそどんなところでも、ある程度の「勝利」を獲得しながら生きていくことができます。
そのため、過分なことをめざしてつぶれてしまう、などといた、持続可能でないあり方を避けることができるのではないかと思います。
(4) 「仕方がある」と「仕方がない」の区別と、「仕方ない」という救いの自覚
a.「仕方がある」と「仕方がない」
『7つの習慣』は、私の基本をなす本のひとつです。そのなかでも、特になるほどなあと納得したのは、影響の輪と関心の輪という概念です。
為末さんの話も、この影響の輪と関心の輪の話に通じるところがあります。
その苦しみから逃れるためには、「どうしようもないことをどうにかする」という発想から、「どうにかしようがあることをどうにかする」という発想に切り替えることしかない。location 1901
人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。でも、「仕方がある」こともいくらでも残っている。location 1907
努力ではどうにもならないものがある、ということに関する記述には、限界に挑むアスリートだからこそ書ける迫力がありました。
一方で、理屈ではどうしても理解できない、努力ではどうにもならないものがあるとわかるためには、一度徹底的に考え抜き、極限まで努力してみなければならない。そして、そこに至って初めて見えてくるものもある。location 1356
社会の不平等さに関する記述も納得できます。
世の中はただそこに存在している。それをどう認識してどう行動するかは自分の自由で、その選択の積み重ねが人生である。なんてひどい社会なんだ。そう嘆きながら立ち止まっているだけの人生もある。日々淡々と自分のできることをやっていく人生もある。選ぶのは自分だ。location 1852
b.「仕方がある」ことばかりじゃないのは、むしろ救いだ
でも、私が本当にすごいと思ったのは、この次を述べているところです。
そして、この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということは、私たち人間にとっての救いでもあると思う。location 1910
素朴に考えると、すべてが努力次第で何とかなる、という方が、希望があります。努力じゃ何ともならないことがあるのは、絶望につながりそうです。
でも、為末さんは、そうではない、といいます。この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということが、救いだとすら言います。
考えてみれば、それもそうです。仮にすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていたら、全部自分の責任です。努力すれば何とかなったはずなのに、自分はそれをしなかった、ということです。
でも、事実としてそうではありません。仮に何かがうまくいかなくても、自分だけでは「仕方がない」領域というのが確実にあります。
まずは「自分はこの程度」と見極めることから始め、自分は「何にでもなれる」という考えから卒業することだ。そこから「何かになる」第一歩を踏み出せるのではないだろうか。location 1756
だめなものはだめ、というのも一つの優しさである。自分は、どこまでいっても自分にしかなれないのである。それに気づくと、やがて自分に合うものが見えてくる。location 1961
自分はどこまでいっても自分にしかなれないことを自覚して、自分に合う生き方をすることが、持続可能な毎日を生きるためには、大切なんだろうな、と思います。なかなかむずかしいことですけれども。
(5) 「たかが」人生だけど、だからこそ「あえて」思いっきり生きる
ここまでの引用でも感じられるかもしれませんが、為末さんのおっしゃる言葉は、言葉だけを文字通り読むと、悟りのようなものが感じられます。でも、だからといって、この本から、諸行無常のような感覚とか、虚無感とかは、漂ってきません。
それはどうしてなんだろうと思っていたら、本書の「おわりに」に、こんな言葉がありました。
僕の場合は、こういう状態のほうが力を発揮できるような気がしている。 「どうせ劇も始まったことだし、思いきり舞台の上で暴れてみようか」 「たかが仮につくられた砂上の楼閣だから、どうせやるんだったら、いっちょうでかくしてみようか」location 1937
自分が生きる上で何かを諦めることは、無気力に生きることを意味しません。為末さんに言わせれば、「たかが人生」です。でも、為末さんは、この「たかが」のあとに、でもだからこそ「あえて」という言葉を続けます。
意味と価値が過剰に求められる現代だからこそ「たかが」「あえて」というスタンスで臨むほうが生きやすいのではないだろうか。location 1953
このスタンスで生きると、何かを諦めること、何かを失うことに対して、強くなれます。
しかし、そのどの時点においても、「べつに今やめてもゼロに戻るだけ」という感覚があった。location 1922
僕にとってそういう状態でいることは非常に楽だ。今は祭りの最中で、祭りが終わったらもとの日常を過ごせばいいと思えるからだ。location 1935
「たかが」と「あえて」のスタンスがめざすのは、悟りではありません。そうではなくて、軽やかな人生です。
成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽やかになるlocation 1942
軽やかに生きて、人生を全うする、という姿勢です。
なぜだか自分という人生を生きる羽目になったのだから、思いっきり生きたらいいと思うだけだ。最後には死んでチャラになるのだから、人生を全うしたらいい。そしてそこに成功も失敗もないと思う。location 1947
軽やかに生きて、自分の人生を全うすること。これができれば、たぶん、持続可能な毎日もついてきます。
(6) 「ベストな選択」ではなく、「ベターな選択」という足し算を続けた先の納得感
最後に、これが、為末さんなりの、ちょっとした具体的コツなんじゃないかな、と感じた一節を引用します。
僕は人生において「ベストの選択」なんていうものはなくて、あるのは「ベターな選択」だけだと思う。誰が見ても「ベスト」と思われる選択肢がどこかにあるわけではなく、他と比べて自分により合う「ベター」なものを選び続けていくうちに「これでいいのだ」という納得感が生まれてくるものだと思う。location 1954
為末さんは、「ベストの選択」を諦めています。ここでの諦めは、「ベストな選択」をすることを諦める、ということではなくて、そもそも「ベストな選択」というものが存在することを諦める、ということです。
「ベストな選択」という正解が存在すると考えれば、正解を探したらいいので、ある意味、わかりやすいです。しかし、自分が実際に下した選択と「ベストな選択」との差(ベストな選択の定義からして、この差は当然、マイナスの差です)の分だけ、自分は損をした、ということになります。そのため、「ベストな選択」というものの存在を諦めない限り、選択のたびに、自分は損をしたのではないか、という疑心暗鬼が消えません。
これに対して、為末さんの提案は、「ベストな選択」を諦めて、「ベターな選択」だけがあるんだ、と考える、というものです。「ベターな選択」のいいところは、毎回の選択において、ベストとの差の損、というものがありえないことです。そのため、「ベターな選択」は、常に足し算です。
「ベターな選択」という足し算を続けることで、納得感を育むこと。これが、為末さんなりの、具体的なコツなのではないかなあ、と感じました。
「持続可能な毎日を生き続ける」ために、人生への納得感は、とても大切です。私は、納得感を育むための優れた工夫として、「ベストな選択」を諦めて、「ベターな選択」という足し算を続ける、という方法を受け取りました。
3.「前向きに、諦める」ことと、「持続可能な毎日を生き続ける」こと
以上が、私なりに、「持続可能な毎日を生き続ける」ための教科書という視点で、『諦める力』をまとめたものです。6個のポイントを再度書きます。
- 自分が生き延びられるフィールドを探す
- 成功談の影の失敗談を自覚する
- 全力で挑み、自分で勝利条件を設定する力を獲得する
- 「仕方がある」と「仕方がない」の区別と、「仕方ない」という救いの自覚
- 「たかが」人生だけど、だからこそ「あえて」思いっきり生きる
- 「ベストな選択」ではなく、「ベターな選択」という足し算を続けた先の納得感
ここでのまとめは、「持続可能な毎日を生き続ける」という、今の私の関心事から、『諦める力』という本を読んだ読み方です。そのため、為末さんの意図を捉え切れていないところや、広く捉えすぎてしまっているところもあるかと思います。また、ひょっとっしたら、完全に誤解してしまっているところもあるかもしれません。
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本書は、こんな言葉で結ばれています。
前向きに、諦める──そんな心の持ちようもあるのだということが、この本を通じて伝わったとしたら本望だ。location 1967
私は、「持続可能な毎日を生き続ける」ことには価値があって、わざわざ一生懸命めざすに値する目標だと思っています。でも、「持続可能な毎日を生き続ける」を目標にするのは、なんだか志が低くて、これでいいんだろうか、という躊躇を抱いてしまいがちです。
これに対して、「前向きに、諦める」という心の持ちようは、この躊躇を分解して消してくれます。「前向きに、諦める」こと。これは、「持続可能な毎日を生き続ける」ために、すごく大切なことではないかと、私は思います。
もちろん、いろんなことを一生懸命やることは前提ではありますが、そうありながらも、諦める力を最大限活用して、軽やかに、持続可能な毎日を生き続けていけたらな、と感じました。
このタイミングでこの本と出会えたことに、感謝しています。
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