うまくいったときは、おかげさま。失敗したときは、自分が責任者。
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書き方・考え方
目次
1.自分の人生を納得して生きるための人生観
(1) 自分の人生を納得して生きるためには、人生観が大切
私は、自分のこの人生に納得し、肯定して生きていたいと願っています。自分の人生に不平不満や愚痴をこぼすことは、可能な限り避けたいと思います。
自分の人生に納得するという課題を達成するためには、大きく分けて、ふたつのアプローチがあります。ひとつは、自分の人生に生じる客観的な出来事を、好ましいものにすることです。そしてもうひとつは、客観的な出来事の把握の仕方、つまり、人生観です。
前者の客観的な出来事レベルでがんばることは大切だと思いますが、より効果が高いアプローチは、人生観ではないかと思います。自分の人生をどのようなものとしてとらえるか、という人生観によって、客観的には同じ出来事が起こっても、充実した人生であると納得できることもあれば、不遇な人生であると愚痴をこぼしながら生きることもあります。客観的な出来事をすべて思い通りにすることはできませんが、自分の人生観を、自分の人生を納得しやすいものへと変えていくことは、自分だけでも可能です。
そんな観点から、自分の人生に納得し、不平不満をこぼさないための人生観はどんな人生観なんだろうか、と考えてきたのですが、ひとつの有力な人生観として、私は、「うまくいったときは、おかげさま。失敗したときは、自分が責任者。」というのがよいのではないかと思っています。
(2) 「うまくいったときは、おかげさま。失敗したときは、自分が責任者。」
a.「うまくいったときは、おかげさま。」
まず、「うまくいったときは、おかげさま。」です。
長い人生、いろいろなことがあるなかでは、うまくいったなあと満足できる結果が出るときだって、たまにはあります。うまくいった場合は、まあ、そのまま素直に満足すればよいのですが、さらに付け加えるなら、「おかげさま」の気持ちを持つとよいと思います。
「おかげさま」の気持ちを持てば、感謝の気持ちがわいてきます。感謝の気持ちというのは、気持ちのよいものです。感謝の気持ちが持てると、それ自体、幸せなことだと思います。感謝の気持ちがわきやすいことが、「おかげさま。」の精神のいちばんのメリットです。
それから、「おかげさま」の気持ちを持つと、謙虚になれます。謙虚になると、いろいろとよいことがあります。たとえば、勝って兜の緒を締めよの精神で、さらなる上達・成長が期待できます。あとは、いやなやつだと嫌われるリスクも減るのではないかと思います。
b.「失敗したときは、自分が責任者。」
次に、「失敗したときは、自分が責任者。」です。
うまくいかないことだって、もちろん、たくさんあります。そのときには、うまくいかないことがあると、失敗は自分のせいじゃない、責任逃れをしたくなります。これは自然な感情だと思うのですが、そこでぐっと我慢して、自分が責任者だと思った方がよいと思います。
自分が責任者だと思えば、うまくいかなかったことに対して、当事者意識がわいてきます。どのようにすればその問題を回避できたのだろうか、という発想になります。また、すでに起きてしまったその問題を解決するためにはどうしたらよいのだろうか、という思考回路が動きます。
これらの発想ができれば、その失敗から何かを学ぶことができます。また、その失敗を克服できる可能性が高まります。
2.論理的に考えても、それなりに筋は通る
(1) 道徳的なお題目か?
「うまくいったときは、おかげさま。失敗したときは、自分が責任者。」の精神は、あまりに道徳的です。たんなる建前のお題目だという評価もあり得ます。少なくとも、少し前の私は、この指針に懐疑的でした。
しかし、翻って考えてみると、論理的な観点からも、「うまくいったときは、おかげさま。失敗したときは、自分が責任者。」の考え方は、理にかなっているのではないかと思います。
(2) 論理的な説明
a.前提:ひとつの結果が生じるためには、複数のファクターが必要である
ほとんどの場合、ひとつの結果が生じるためには、複数のファクターが必要です。
たとえば、ブログにGoogle AdSenseを設置した結果、IT関係費の一部をまかなうだけの収益が上がったとします。この結果を生むためには、自分自身が、ブログを開設して、Google AdSenseを設置するなど、たくさんのことをしなければいけないのですが、それ以外に、GoogleがGoogle AdSenseを提供していることや、WordPressというアプリケーションがあること、ブログを訪問してくれる方がいて、そのなかにクリックしてくれた方がいたこと、クリックしてもらえるような広告を出稿した広告主がいたことなど、いろんなファクターが必要です。どのひとつが欠けても、この結果は生じません。
これを図式的に、a+b+c+D+E+F→Xと表現します。小文字のa、b、cは、自分でどうにかできること、大文字のD、E、Fは、自分ではどうにもできないこと、Xが結果だとします。Xという結果が生じるためには、a、b、cという自分の行動と、D、E、Fという自分以外の何かが必要だということです。
b.うまくいったとき、その結果は、自分のファクターだけでは、生じなかった
Xという結果が、自分にとって好ましい結果だった場合、その結果をもたらしたのは、a+b+c+D+E+Fという6個のファクターです。このうち、a、b、cは、自分が行ったことなので、自分にだって、その結果の手柄はあります。しかし、仮に、D、E、Fがなければ、いくら自分ががんばったとしても、Xという結果は生じません。
であれば、Xという結果が生じたときに、自分の手柄を誇るのではなくて、あるいは、自分の手柄を誇るのと同時に、D、E、Fという、自分ではどうしようもなかった要素に対して、「おかげさま」の精神を持つのは、正しい態度です。
c.失敗したとき、その結果は、自分のファクターがなければ、避けられた
Xという結果が、自分にとって好ましくない結果だった場合も、その結果をもたらしたのは、a+b+c+D+E+Fという6個のファクターです。このうち、D、E、Fも、その結果の一因なので、失敗はD、E、Fが原因だといえなくもありません。しかし、仮にD、E、Fがそのままだって、a、b、cのどれかがなければ、好ましくない結果は生じませんでした。自分さえどうにかしていれば、失敗を回避できたのです。
であれば、Xという結果が生じたときに、その結果をもたらした自分以外の要素に責任を求めるのではなくて、自分自身がどうにかしていれば、この結果は回避できたのだという事実を直視して、「自分が責任者。」の精神を持つのがよいと思います。この精神を持てば、当事者意識がわいてきますので、次に備えたり、その失敗をリカバリーする方策を考えたりすることも容易です。
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