「作品」と「価値」をめぐる人の軸
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単純作業に心を込める
この前、これを書きました。
ここで書いたのは、「「作品」の「価値」は、自分以外の誰かによって見い出される。」という原則に、時間軸を重ねてみると、次の3つのパターンが浮かんでくるのではないか、ということでした。
- 「作品」と「価値」が同時
- 「作品」を生み出す=「価値」を見い出される
- 「作品」が先、「価値」が後
- 「作品」を生み出す→「価値」を見い出される
- 「価値」が先、「作品」が後
- 「作品」に期待される「価値」が、まず、決まる。
- その後、その期待された「価値」を実現すべく、「作品」が生み出される。
さて、「「作品」の「価値」は、自分以外の誰かによって見い出される。」という原則に重ねられる軸には、時間軸の他に、人の軸があります。つまり、「自分以外の誰か」に注目する軸です。
今回は、これを考えてみます。
1.ひとりか、複数人か
まずは、人数です。
つまり、自分の「作品」に「価値」を見い出す他者の人数。ひとりなのか、複数人なのか、です。
ひとりに「価値」を見い出してもらうための「作品」があります。子どものために作る離乳食とかもそうです。他方で、複数人に「価値」を見い出してもらうための「作品」もあります。今こうして書いているブログ記事も、願わくば複数人に「価値」を見い出してもらえるといいなと思っていますし、少なくとも原理的にはひとりに限られません。
さらに、複数人の場合は、有限の複数人のこともあれば、無限の複数人のこともあります。たとえば、大きな鍋に作ったカレーは、複数人に「価値」を見い出してもらうことができると思われますが、人数としてはせいぜい5人から10人であり、有限です。これに対して、一冊の本という「作品」は、10人に読まれても、100人に読まれても、なくなりはしません。本は、無限の複数人に「価値」を見い出されうる存在だといえます。
ということで、人数の点では、次のパターンがありえます。
- ひとり
- ひとりだけに「価値」を見い出される「作品」
- 複数人
- 有限の複数人
- 限られた人数の複数人に「価値」を見い出されうる「作品」
- 無限の複数人
- 無限の複数人に「価値」を見い出されうる「作品」
- 有限の複数人
2.特定か、不特定か
次に、特定・不特定、があります。
この特定・不特定とは、「作品」を作っている段階で、その「作品」に価値を見い出す人が特定されているか否か、ということを意味しています。
たとえば、自宅で作るカレーは、そのカレーを食べる人(=カレーという「作品」に「価値」を見い出すであろう人)があらかじめ特定されています(たとえば、妻と子ども、とか)。これが特定です。これに対して、カレー屋さんが作るカレーは、そのカレーを作っている段階では、誰がそのカレーを食べるのか(=カレーという「作品」に誰が「価値」を見い出すのか)が、特定されていません。これが、不特定です。
この特定・不特定は、人数とはどのような関係に経つのでしょうか。傾向としての相性はある気がしますが、独立した別の軸だと思います。だから、いろんな組み合わせが考えられます。いくつか考えてみましょう。
最初に、ひとり×特定。「作品」を作るときから、その「作品」に「価値」を見い出すひとりの人が特定されている、というパターンです。画家が、誰かから注文を受けて1枚の絵を描き上げる、などが、これに該当します。
これに対して、無限複数人×不特定。「作品」を作るときには、その「作品」に「価値」を見い出すのが誰なのか、特定されていない(不特定)。しかも、その「作品」に「価値」を見い出しうる人の人数は、ひとりではなく複数人で、しかも無限。ブログ記事を書くことが、まさにこれに該当します。
別の組み合わせも考えられます。有限複数人×特定。「作品」を作るときから、その「作品」に「価値」を見い出す複数人が決まっている、というパターンです。受講生を相手とする大学の講義とかでしょうか。
他方で、無限複数人×特定は、かなり微妙な組み合わせです。「作品」を作る段階で「価値」を見い出すであろうひとが特定されているのだが、人数は無限の複数人。厳密な言葉の意味では、無限と特定は両立しないような気がしますので、多分、ありえません。でも、たとえば、オリンピック閉会式の動画という「作品」は、「作品」を作っているときから、無限ともいえるほどの人に届く可能性が高いので、無限複数人×特定に近いところにあります。
それから、ひとり×不特定。一般に、不特定多数という言葉はよく聞きますが、不特定単数という言葉はあまり使いません。でも、ありえます。ひとりの人にしか渡せない「作品」を作るけれど、誰のもとに届くかはわからない、というパターン。一点ものの物理的な物を作る場合の多くが、これにあたります。小さいところでは、手作り文房具のようなもの。大きいところでは、建売住宅。
3.作り手と受け手との関係(対称・非対称)
作り手と受け手の関係で、対称・非対称がある気がします。
「作品」を生み出す人を作り手で、「価値」を見い出す人を受け手と呼ぶとすると、「「作品」の「価値」は、自分以外の誰かによって見い出される。」という原則には、作り手と受け手が登場しますので、両者の関係を観念できます。この関係が、対称なのか、非対称なのかというのが、ここで考えたい軸です。
対称・非対称とは、どういうことでしょうか。作り手・受け手という役割の違いがあることは前提なので、ここでは、相手の認識での対称・非対称に注目してみます。
対称とは、作り手→受け手の認識と、受け手→作り手の認識が同じ場合です。作り手による「作品」が、受け手によって「価値」を見い出されたとき、
- 作り手が受け手を認識し、受け手が作り手を認識する
- 作り手が受け手を認識せず、受け手が作り手を認識しない
のどちらかが、対称関係です。
非対称は逆に、作り手→受け手の認識と、受け手→作り手の認識がちがう場合です。
- 作り手が受け手を認識し、受け手が作り手を認識しない
- 作り手が受け手を認識せず、受け手が作り手を認識する
の2つがあります。
もう少し具体的に考えてみます。たとえば、「誰かが誰かに何かを教える」ということの登場人物は、作り手である先生役と受け手である生徒役です。
- 先生が生徒を認識し、生徒が先生を認識する
- 先生が生徒を認識せず、生徒が先生を認識しない
が対称で、
- 先生が生徒を認識するが、生徒は先生を認識ない
- 先生が生徒を認識ないが、生徒は先生を認識する
が非対称です。
学校の授業のようなものを前提とすると、ここでの「作品」は授業であり、先生がリアルタイムで作っているのですから、生徒が先生を認識しないことは、ほとんどありません。すると、先生の側が、自分が教えている生徒全員を認識できるか、生徒全員は認識できないか、に分水嶺があります。先生役を体験してみた個人的な経験からすれば、生徒の人数が10人、20人くらいであれば先生が生徒を認識するのはなんとかなりますが、生徒の人数が100人を超えると、生徒全員を認識するのが難しくなる気がします。これは、生徒は先生を認識するが、先生は生徒(の全員)を認識しているわけではない、ということであり、非対称の関係になっています。
また、たとえば「ブログ記事」を考えてみましょう。作り手はブログの著者であり、受け手はブログの読者です。作り手である著者の側からは、どんな読者が「作品」に「価値」を見い出してくれたのかは見えません。他方で、受け手である読者の側からは、そのブログ記事を生み出した作り手については、興味を持てば認識できますが、興味を持たなければ認識しないまま終わります。
となると、
- 著者は読者を認識しないが、読者は著者を認識する(非対称)
- 著者は読者を認識せず、読者は著者を認識しない(対称)
のいずれかになりそうです。
●
このように、作り手による「作品」が、受け手によって「価値」を見い出された、という現象が生じた場合、作り手と受け手の関係は、相手を認識しているか否かによって、対称・非対称で区別できます。
(ちなみに、この発想は、倉下忠憲さんによる次のTweetから着想しました。ただ、まだ消化しきれていない感じです。)
「他者が見出した価値を自分が知る」という軸を導入すると、もう少し複雑になる。 https://t.co/cPg4FxQMHB
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2016年8月19日
4.まとめ
自分が作った「作品」は、自分以外の誰かによって「価値」を見い出してもらったとき、はじめて、「価値」あるものになります。
裏を返せば、自分以外の誰かによって「価値」を見い出してもらえないかぎり、どんな「作品」を生み出しても無意味であり無価値である、ということです。窮屈な話のような気もします。
でも、ここでいう「自分以外の誰か」は、かなり広い概念です。そのことが、今回、人の軸を考えてみることで、明らかになりました。
「自分以外の誰か」の人の軸を広くとれば、「「作品」の「価値」は、自分以外の誰かによって見い出される。」という原則は、全然窮屈ではなく、むしろかなり自由で開かれています。
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