たくさんの研究者によるたくさんの研究の集積の中に、たくさんの多方向の流れが生まれる仕組み
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単純作業に心を込める
目次
1.はじめに
『これからのエリック・ホッファーのために』を読んでから、「研究」というあり方に、興味を持っています。「研究」というあり方の中に、今の私のあり方には欠けている、でも、それを加えると自分のあり方がより豊かになるような、そんな要素が含まれているように感じるためです。
- 普通のワーキングパパが『これからのエリック・ホッファーのために』を読むということの意味(「好きに没頭する」ための3つのヒント)
- モデルケースとして描いていきたい個人の歩み(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)
そこで、「研究」というあり方のことを考えてみました。
とりあえず到達した暫定的な結論を先に書くと、私が魅力を感じる「研究」というあり方は、「たくさんの研究者によるたくさんの研究の集積の中に、たくさんの多方向の流れが生まれる仕組み」です。こんな仕組みが、「論文」「論文誌」「学会」「コミュニティ」というようなものの中に存在しているんじゃないか、と考えました。
2.「論文」「論文誌」「学会」「コミュニティ」という仕組み
「研究」というあり方を観察してみます。
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研究者は、「論文」を書きます。「論文」は、何らかの研究テーマについて、これまでの研究の成果を踏まえて、そこに何らかの新しい知見を付け加えるものです。「論文」は、いくつかの形式を備えています。そのうちのいくつかの形式は、他の「論文」を引用したり、他の「論文」から引用されたりするためのルールを定めています。
研究者が書いた「論文」は、多くの場合、研究テーマに関連する「論文誌」に掲載されます。世の中には、たくさんの「論文誌」が定期的に刊行されていて、定期的に多数の「論文」を掲載しています。基本的にすべての「論文誌」は、雑誌のタイトル、発行年、通し番号などで特定することができ、多くの「論文誌」は、紙媒体で図書館や研究所などに収められています。「論文」は、「論文誌」に掲載されることで、その分野の研究者に参照されやすい条件を獲得します。
研究者は、「学会」で発表します。「学会」は、特定のテーマを研究する研究者などの集まりの名称でもありますが、研究者が自分の研究を発表する会合の名称でもあります。ここで念頭に置いているのは、会合としての「学会」です。研究者は、自分の研究を「学会」で発表することによって、共通する研究テーマを持つ他の研究者に自分の研究を伝えたり、他の研究者からフィードバックを得たりします。
研究者は、「コミュニティ」に属しています。人の集まりとしての「学会」もそうですし、大学に所属している研究者なら、ゼミ、研究室なども、「コミュニティ」です。また、ほとんどの研究者は誰かに学ぶところから研究をスタートしますが、ここに存在する[教える]−[教えられる]の関係も、広い意味で「コミュニティ」です。
●
では、こんな「研究」というあり方、つまり、「論文」「論文誌」「学会」「コミュニティ」の中では、どのようなことが起きているのでしょうか。
まず、ここには、たくさんの研究が、「論文」という形式を備えて、集積しています。ひとりひとりの研究者による、それぞれの研究テーマについての研究は、そのひとつひとつがとても深い考察に満ちているのですが、そんな研究が大量に集積しているのが、「研究」という場です。しかも、その集積は、「論文」という形式を備えています。「論文」とは、形式に過ぎないといえば形式にすぎないのですが、この形式を備えることで、他の「論文」から引用されたり、特定可能になったり、時を超えて残ったりするなど、大きなメリットがあります。
次に、これらたくさんの研究は、バラバラに存在しているのではなく、つながっています。この具体的な表れのひとつは、「論文」の間にある[引用する]−[引用される]の関係です。ある「論文」が他の「論文」を引用しているということは、あるひとりの研究者による研究が、他の研究者による研究とつながっていることを示しています。また、研究者と研究者の[教える]−[教えられる]関係も、研究と研究のつながりのひとつかもしれません。
ところで、「研究」というあり方に存在しているこんなつながりは、一本筋ではありません。つまり、たくさんの研究の集積が、あるひとつのゴールに向かって進んでいる、というわけではないのです。研究と研究のつながりは、多方向に入り乱れています。「論文」と「論文」の[引用する]−[引用される]の関係も多方向で入り組んでいますし、研究者同士の[教える]−[教えられる]の関係も、家系図のような一方通行ではありません。大きな秩序があるわけではなく、むしろ混沌とすら言えるかもしれません。
しかし、「研究」というあり方に一本の筋が存在しないからといって、「研究」というあり方が価値を生み出さないわけではありません。むしろ、「研究」というあり方に存在する混沌さは、次の新しい研究を生み出すために、とてもうまく機能しています。ある「論文」を検討材料として次の「論文」が生まれたり、ある研究者による教育からたくさんの研究者が生まれ、そうして生まれた研究者による研究が最初の研究者の研究を次の段階に進めたり、といったことです。ひとつの大きな流れがなくても、たくさんの研究の集積の中に、たくさんの多方向の流れが生まれます。こうして生まれたたくさんの多方向の流れが、研究全体を大きく、豊かに、深く、育てていきます。
●
私が「研究」というあり方に感じるのは、こんな「たくさんの研究者によるたくさんの研究の集積の中に、たくさんの多方向の流れが生まれる仕組み」です。
3.自分の考察を、「研究」というあり方に開く
では、こんな「研究」というあり方を、自分自身のあり方に取り込むには、どうしたらよいでしょうか。
2つのことを考えました。
(1) すでにある「研究」というあり方を、自分の考察に活かす
ひとつは、「研究」というあり方を、自分の考察に活かすことです。
●
今、私は、WorkFlowyとか、アウトライナーとか、情報や意味の構造とか、文章群を書き続けるとか、そういったことに強い興味を持っています。これらのテーマについての考察を深めていきたい、と強く願っています。
でも、これまでの私は、これらのテーマについての考察を深めるために、「研究」というあり方を活用しようとは、あまり考えていませんでした。自分でWorkFlowyを操作して気づいたことをちまちま整理するとか、Twitterなどで知り合ったいわゆるクラスタの人たちと意見交換をするとか、たまたま縁あって読んだ本で学んだことを活かすとか、そういったことが考察の中心であり、「研究」というあり方に存在する集積を参照しようとは、考えていませんでした。
しかし、考えてみれば、私が関心をもつテーマについても、「研究」というあり方に、たくさんのものが集積されているような気がします。WorkFlowyについての研究はまだあまりないかもしれませんが、アウトライナーとか、情報や意味の構造とか、文章を書くことの意義とか、そういったテーマについてなら、「研究」というあり方に、膨大な蓄積が存在するはずです。
こんな先人の考察の肩に乗れば、自分の考察にも、新しいものが開かれるのかもしれないなと、漠然と感じています。
もちろん、それと同時に、「研究」というあり方に存在する集積から何らかの恩恵を得たなら、そんな先人の研究について、自分の考察の中で言及したいとも思っています。過去になされたすばらしい考察に光を当てることも、私にできる考察のひとつのあり方です。
(2) 自分の考察を、「研究」というあり方につなげる
もうひとつは、自分の考察を、「研究」というあり方に参加させることです。
●
私は、WorkFlowyとか、アウトライナーとか、情報や意味の構造とか、文章群を書き続けるとか、そういったことについての考察を、ブログ記事という形で、公開してきました。
しかし、私が自分の考察を公開してきたのは、基本的には、自分のためです。文章を書き上げて公開することで、考察を深めるためのヒントをたくさん受け取ることができ、それによってさらに考察を深めることができる、という循環を主な目的として、考察を公開してきました。私にとって、自分の考察を深めるためにブログ記事を書き続ける、というあり方はすこぶるうまく機能していましたので、私は完全に満足していました。
でも、「研究」というあり方を見て、もう少し欲が出てきました。自分の考察を、誰かに活用してもらえたら、と願うようになったのです。
「研究」というあり方は、ひとつの研究やひとりの研究者で閉じているものではなく、広く開かれています。あるひとりの研究者が行ったひとつの研究が、時を超え、場所を超え、分野を超え、別の誰かの研究とつながり、そこで新しい価値を発揮する可能性を持っています。私は、こんなあり方をとても魅力的に思い、自分の考察をそんなあり方に参加させることができたらいいな、と思うようになりました。
自分の考察を、「研究」というあり方につなげるため、具体的に何をしたらいいかは、まだよくわかりません。ひとつのゴールは、私が書く何かが、どこかの研究者の方が書く「論文」に引用されることなのかなと思うのですが、そのゴールに近づくためにどんなことをしたらいいのかが、まだ見えていないのです。
ですが、大きくいえば、私が進みたいのは、自分の考察を「研究」というあり方につなげていく方向なんじゃないかなと感じています。
■関連■
以前、研究者が考察を深める仕組みについて書きました。
研究者が考察を深める仕組み:「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」
これは、ひとりの研究者に視点をおいて、そのひとりの研究者が考察を深めていく仕組みを考えたものです。
これに対して、今回考えたのは、ある分野についての研究全体がどのように豊かになっていくか、ということと、それを自分のあり方にどう活かすか、ということです。
この文章で考えたことは、どちらかといえば、(研究とは一見まったく関係のない、)次の文章に近いのかもしれません。
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