もしも、子どもに、「生きる意味って何?」と尋ねられたら。
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最終更新日:2015/11/20
単純作業に心を込める, 子育て
大学生の一時期、私は、「人生全体の目的」とか「生きる意味」とかのことを、本気で、考えていました。
昨日は、当時の自分をふり返りながら、文章を書いていたのですが、そのとき、ふと、「もしも、自分の子どもが、いつか、私に、「生きる意味って何?」と尋ねたら、私はその問いにどのように向き合うかなあ」という考えが浮かんできました。
この問いをめぐってつらつらと考えたことを、文章のかたちにまとめてみます。
目次
1.その問いが、どうして子どもの中に生まれたのか、わかろうとする。
「生きる意味って何?」という問いは、たぶん、自然に生まれてくる問いではありません。だから、もし、子どもが、この問いを抱いたのなら、そこには何かそれなりの、子どもにとって大切なものがあるんじゃないかなと思います。そこで、尋ねられた私の方も、まずはその何かを大切にして、その何かをわかろうとします。
たとえば、生命というものを不思議に感じる気持ちから「生きる意味って何?」という問いが生まれたのかもしれません。だったら、子どもが感じた生命というものに対する不思議を、私も共有したいと思います。実際、生命というものはとても不思議ですし。
あるいは、この問いが、何かネガティブなところからが生まれることもあるでしょう。嫌なこととか辛いことがあったり、なにかやりたくないことをやらなくちゃいけなかったり、人間関係に悩んだり、何らかの喪失感を抱いたり。
たとえば、『宇宙兄弟』の六太がシャロンおばちゃんにこの問いを発したときも、『終末のフール』の渡部さんがこれと似たような問いを両親にぶつけたときも、六太や渡部さんは、わりとネガティブな状況に巻き込まれ、苦しんでいました。
仮に、子どもが何かネガティブな状況に巻き込まれていて、そこからこの問いが生まれたのだとすれば、私は、子どもが巻き込まれているネガティブな状況をわかりたいと思います。まあ、話したくないこともあるでしょうから、無理して聞き出すことはできないのですが、それでも、理解しようとしたいです。
「生きる意味って何?」という問いを誰かにぶつける人は、多分、この問いに対する直接の答えを知りたいわけではないような気がします。だから、もしも私が、子どもからここんな問いをぶつけられたなら、その問いに答えることそのものよりも、まずは、この問いが子どもの中に生まれてきた経緯を大切にしたいと思います。そういう親に、私はなりたいです。
2.「生きる意味」という言葉の意味を、子どもと一緒に確認する。
それを前提として、子どもが抱えた問いそのものも、大切にしたいと思います。なんといっても、「生きる意味って何?」です。そんな問いを親に尋ねるからには、子どもなりに大切な何かが、そこにはきっとあるのでしょう。だったら、親としても、その問いを軽く扱うわけにはいきません。
もちろん、「生きる意味って何?」という問いに対しては、「それは考えなくてもいいことなんだよ。」とか「そんなこと考えなくても生きていけるよ。」とか「そんなこと考えても仕方ないよ。」というのも、正しい答えかもしれません。とりわけ、子どもからこの問いをぶつけられた親としては、問いに答えるよりもむしろ、「私にとって、あなたが生きていることには、意味がある。」ということだけを、くり返しくり返し丁寧に伝えるのが正解なのかもしれません。
でも、私としては、そうではなくて、子どもと一緒に、正面からこの問いを素直に考えたいなあと思います。
●
では、「生きる意味って何?」という問いは、どこからどのように考えたらよいでしょうか。
私が思うに、この問いは、いきなり問いの検討に入ると、うまくいかない問いです。というのも、「生きる意味」というものは、とても抽象的で広い意味を持ちます。だから、最初にこの言葉の意味をはっきりさせておかないと、いくら考えても考えが前に進んでいきません。
そこで、最初に、「生きる意味って何?」という問いをはっきりさせるための作業に取り組みます。問いを検討するためには言葉の意味をはっきりと確認しておくことが大切なんだということを子どもに説明した上で、「生きる意味」という言葉の意味を丁寧に確認するわけです。
●
具体的にできることは、たとえば、こんなことかなあ。
- 「生きる」や「意味」という言葉の意味を一緒に確認する
- 「意味がある」「意味がない」と感じるときの具体的な状況をたくさんリストアップして、そこに共通する何かを抽出する
- 問いをはっきりさせる方法論を解説する本を紹介する。
- たとえば、『知的複眼思考法』とか。
このように、「生きる意味って何?」という問いの意味をはっきりさせ、子どもが抱えた問いを、抽象的なお題目から、イメージ豊かな問いにするための作業に、まずは取り組みます。
3.「生きる意味」に関する典型的な考え方を紹介し、一緒に使ってみる。
問いの意味をある程度はっきりさせてから、問いそのものの検討に入ります。
問いそのものの検討では、2つのことを大切にしたいと思います。
- 正面から、素直に考えること
- いろんな視点で柔軟に考えること
- 考える方向
- 考える視点の高さ(階層・倍率)
とはいえ、自分の頭だけでゼロから考えていては、正面から素直に考えることと、いろんな視点から柔軟に考えることを両立させるのは、けっこう大変です。そこで、人類の叡智を参考にして、典型的な考え方を使うのが現実的ではないかと思います。
「生きる意味って何?」という問いは、昔から、いろんな人が、いろんな知見をもとに、考え続けてきた問いです。だから、この問いについては、これまでにたくさんの人類の叡智が蓄積されています。この蓄積を活用して、典型的な考え方を、いわば道具のように使うのです。
(1) 典型的な考え方
「生きる意味って何?」という問いに対しては、いくつかの典型的な考え方があるような気がします。それらの考え方を分類する基準はいくつもありうると思うのですが、一例を示すと、こんな感じです。
- 生きる意味の有無による分類
- 「生きる意味はある」を前提とする
- 生きる意味をトップダウン的に捉える
- 自分の外側に究極の価値があって、それに貢献するのが、生きる意味
- 生きる意味をボトムアップ的に捉える
- 具体的な場面における意味の集合体として、結果としてなんとなく認識できるものが、生きる意味
- 自分のあり方や状態(ワクワク、自分の力を発揮している状態、納得している状態)それ自体が生きる意味である、という考え方
- 生きる意味をトップダウン的に捉える
- 「生きる意味はない」を前提とする
- 生きる意味はないことを、ネガティブに捉える考え方
- 生きることは虚しい。
- 生きる意味はないことを、ニュートラルに捉える考え方
- 生きる意味はないけれど、別に問題ない。
- 生きる意味はないけれど、実際に生きれば、結果として、いろんな価値を生み出しているから、それでいい。
- 生きる意味はないことを、ポジティブに捉える考え方
- 生きる意味はないからこそ、自由に自分の生き方を描けばよい。
- 生きる意味はないことを、ネガティブに捉える考え方
- 「生きる意味はある」を前提とする
- 「生きる意味って何?」という問い自体を問題にしたり、問いを少しずらしたりする考え方(メタ的な視点)
- 生きる意味を問うこと自体の妥当性を問題にする考え方
- 「生きる意味って何?」ということを問うこと自体がまちがいだ、という考え方
- 「生きる意味って何?」と問うことそれ自体に積極的な価値がある、という考え方
- 「生きる意味って何?」と問う自分自身を問う考え方
- 「なぜ、自分は、「生きる意味って何?」という問いを考えてしまうのか?」を考えることで、自分をより深く理解する。
- 生きる意味を問うこと自体の妥当性を問題にする考え方
これら典型的な考え方を、まずは子どもに紹介してみます。それはなにも、どの考え方が正しくてどの考え方が誤っているのか、ということを議論するためではありません。そうではなく、いわば考え方のカタログを紹介するイメージです。
(2) 典型的な考え方を使ってみる
考え方のカタログを紹介すれば、典型的な考え方の中に、子どもとしてしっくり来る考え方があるかもしれません。そこで、「どの考え方を使ってみたい?」と聞いてみようと思います。使える道具を並べてみて、その中から、使いたい道具を選んでもらうような感じです。
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子どもが使ってみたいと感じる考え方があれば、それを一緒に使ってみます。
たとえば、子どもが、
- 生きる意味はある。
- それは、自分を超えた価値に貢献することである。
という考え方にピンときたなら、
- 自分を超えた価値とはなんだろうか?
- それに貢献するって、どんなことだろうか?
みたいなことを一緒に考えます。
たとえば、子どもが、
- 生きる意味はない。
- でも、生きていけば、結果として、いろんな価値を生み出している。
- だからいいんだ。
という考え方を気に入ってくれたら、
- 生きていくことによって、どんな影響を、どこに、どんなふうに生み出しているのか?
- それらの影響が、誰かにとって、プラスの価値を持ちうることはあるだろうか?
みたいなことを一緒に考えることができたら面白そうです。
もちろん、親が示したカタログにない考え方を子どもが自分で生み出したなら、それも使ってみます。
何にしても、考え方というものは、自分の生活の中で実際に使ってみてなんぼです。考え方を自分の生活の中で使ってみる練習として、子どもと一緒に、いろいろな考え方を、「生きる意味って何?」という問いを考えるために、使ってみることができたら、面白いんじゃないかという気がします。
4.おわりに
以上が、昨日の記事を書きながら、子どもの寝顔を見たりしているときに、なんとなく思い浮かんだことでした。
うちの子どもは、まだ3歳で、「意味」という言葉も、きっと知りません。にもかかわらず、こんなことを考えてしまいました。妄想もいいところです。
ともあれ、もしも将来、子どもの中に実際に「生きる意味って何?」という疑問が生まれたときに、子どもが、その問いを両親に尋ねてみようかな、と少しでも思ってくれたとしたら、それは親としてとてもうれしいことだと感じます。そんな親子関係を育むことができたらいいなあ。
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