研究者が考察を深める仕組み:「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」
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書き方・考え方
目次
1.研究者の道を真剣に検討したことで、何を得たか
私事ですが、学生時代に自分の生業を考えていたときに、私が真剣に検討していた選択肢のひとつは、大学に残って研究者になるという道でした。大学入学当時は、研究者になるという発想をまったく持っていなかったのですが、所属ゼミの先生から「研究者になってみない?」と声をかけていただいたことで、突如、この選択肢が出てきたのでした。
私は所属ゼミの先生のことを深く尊敬していましたので、声をかけていただいたことを、すごくうれしく思いました。他方で、それまで研究者の道を考えたことがなかったこともあり、かなり大きなとまどいを覚えました。「自分は研究者に向いているのだろうか?」「自分が研究者になれるのだろうか?」「自分が研究者になって、何らかの価値ある研究を生み出せるのだろうか?」こんな不安を抱きました。
そこで私は、その所属ゼミの先生に、「なんで私に声をかけてくださったんでしょうか?」と、率直に尋ねてみました。
彼は、「理由は3つある」として、
- 第一に、君は、勉強することと、教えることと、文章を読み書きすることが、かなり好きそうに見える。
- 第二に、君は、論理を扱うことと情報を構造化することが、少なくとも苦手ではなさそうに見える。
- そして第三に、君をこの高度資本主義社会に放り出したら、君はサバイバルできないんじゃないかと心配になる。
という3つを説明してくれました。
この答えを聞いて、私は、なるほどそのとおりだなあ、と深く納得し、それからしばらくの間、研究者の道に進むことをかなり真剣に検討しました。研究者の道を歩んでいる先輩と飲みに行って話を聞かせてもらったり、研究者が書いた研究生活のエッセイのような本を手当たり次第読んだりすることで、自分なりに、研究者の人生は何を目指す人生で、研究者の日常がどんな時間の流れになるのかを、できるかぎりはっきりと思い描こうと試みました。
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結局、私は、研究者の道を選びませんでした。でも、研究者の道を真剣に検討したあの一時期は、無駄ではありませんでした。なぜなら、私は、そのときに、「研究者は、どのように、考察を深めていくのか?」の一端を垣間見たからです。
2.研究者は、「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」によって、考察を深める
(1) 研究者の深い考察は、個人の能力だけで生まれているわけではない
一般に、研究者の考察は、深いです(例外は認めます)。多くの研究者は、ことご自身の専門分野については、「よくもまあこんなことまで考えるものだ」と呆れるほどの深さまで、精緻に掘り下げて考察しています。
大学生の私は、研究者の講義を受講するたびに、研究者の考察の深さに圧倒され、たまに呆れていました。そして、この深さまで考察を進める研究者というのは、やはり常人離れした高い能力と情熱を持っているんだろうなあ、と感心していました。
そのため、私は、「研究者にならないか?」と声をかけていただいたとき、「自分には、あのレベルまで考察を深めることはできそうにない。」という不安を抱きました。いくら勉強することや文章を読み書きすることが好きで、論理を扱うことと情報を構造化することが苦手でないとしても、それだけでは足りないと感じました。
しかし、研究者の道を真剣に検討するなかで、研究者の深い考察を生むのは、必ずしも、その人個人の驚異的な能力や情熱だけではないことに気づきました。研究者が考察を深めていくプロセスは、研究者個々人の能力だけに依存しているわけではなく、研究者の世界全体に用意された、いわば考察を深める仕組みのようなものに助けられているのではないか、と考えるに至りました。
(2) 研究者が考察を深める仕組み
私が感じた仕組みは、抽象的に言えば、「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」です。
たとえば、研究者は、自分の研究成果を、いろいろな場所にアウトプットします。雑誌に連載を書く、学会で発表する、論文集に論文を出す、といったパブリックな場所にアウトプットすることもあります。また、研究者仲間の非公式の研究会で発表したり、学生と一緒に行うゼミで自分の報告をしたりといった、パブリックではない場所へアウトプットすることもあります。
このようにいろんな場所にアウトプットすることによって、研究者は、それぞれの場所から、何らかのフィードバックを得ます。そして、考察を深めます。
また、研究者は、いろんなかたちでのアウトプットをします。文系研究者の場合は、論文形式の文章でのアウトプットと、口頭発表によるアウトプットがメインのようです。しかし、これらに限られるわけではなく、実地調査をしてその結果を報告するかたちや、たとえば一般向けの講演もひとつのアウトプットのかたちです。
これらいろんなかたちのアウトプットからも、研究者は、それぞれのフィードバックを得ます。論文を書けばコメントをもらい、口頭発表では会場からの質疑や聴衆の反応が得られます。
私が見聞きした範囲内では、研究者の毎日は、雑誌連載の原稿を書き、学会発表の準備をして、講義のレジュメを作り、学生とのゼミのテーマを考え、研究会の報告書を書き、依頼された講演のプレゼン資料を作り、といった作業で満たされていました。決して、研究室に閉じこもってひとり沈思黙考する、というものではありません。
でも、研究者の毎日がこれらの作業で満たされていることのは、考察を阻害する要因ではありません。これらの作業は、「その時点までの考察をアウトプットし、フィードバックを得る仕組み」として機能することによって、むしろ考察を深める役割を果たしているようでした。
3.まとめ:研究者の毎日に組み込まれている「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」
まとめます。
研究者は、なぜ、圧倒的な深さまで考察を深めることができるのでしょうか?
もちろん、個人の能力と情熱は大切です。でも、それだけではありません。研究者が考察を深められるのは、研究者の毎日に、考察を深める仕組みが組み込まれているからです。
研究者の毎日に組み込まれている「考察を深める仕組み」とは、「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」です。研究者は、日々、論文の執筆や研究会の準備や講義の資料作りに追われています。しかし、これらの作業は考察を邪魔するものではなく、「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」として機能しています。
毎日に組み込まれた「その時点までの考察をアウトプットして、フィードバックを得る仕組み」によって後押しされることで、研究者は、自らの考察を圧倒的な深さまで深めていきます。
私が見聞きした範囲は、それほど広い範囲ではありません。また、私は、研究者の世界を近くの外から観察しただけであり、中に入ったわけではありません。なのでその限度ではありますが、これが、「なぜ、研究者は、圧倒的な深さまで考察を深めることができるのか?」に対する、現時点での私の答えです。
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