与えられた才能を、小さな世界に集中させて、小さな世界を大切にする
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単純作業に心を込める
目次
1.『ノルウェイの森』のキスギと永沢さん
(1) キスギ
村上春樹の『ノルウェイの森』に、キスギという「僕」の友人が登場します。「僕」の高校のクラスメイトで、直子の当時の恋人です。
高校時代、「僕」は、キスギと直子との三人で、しばしば出かけたり話をしたりしました。キスギには、場の空気を見きわめてそれにうまく対応していける能力があり、また、たいして面白くもない話から面白い部分をいくつも見つけるという、得がたい才能に恵まれています。そのため、「僕」と直子は、キスギの座談の才によって、いつも居心地のよい場を楽しんでいました。
三人でいると彼は直子に対しても僕に対しても同じように公平に話しかけ、冗談を言い、誰かがつまらない思いをしないようにと気を配っていた。どちらかが長く黙っているとそちらにしゃべりかけて相手の話を上手くひきだした。そういうのを見ていると大変だろうなと思ったものだが、実際はたぶんそれほどたいしたことではなかったのだろう。彼には場の空気をその瞬間瞬間で見きわめてそれにうまく対応していける能力があった。またそれに加えて、たいして面白くもない相手の話から面白い部分をいくつもみつけていくことができるというちょっと得がたい才能を持っていた。だから彼と話をしていると、僕は自分がとても面白い人間でとても面白い人生を送っているような気になったものだ。
『ノルウェイの森』(上)p.44
でも、キスギは、この座談の才を、「僕」と直子以外に対して発揮しようとはしませんでした。キスギは、自分の才能を、「僕」とキスギと直子という三人だけの小世界に集中させることで満足していました。
もっとも彼は決して社交的な人間ではなかった。彼は学校では僕以外の誰とも仲良くはならなかった。あれほど頭が切れて座談の才のある男がどうしてその能力をもっと広い世界に向けず我々三人だけの小世界に集中させることで満足していたのか僕には理解できなかった。
『ノルウェイの森』(上)p.44
(2) 永沢さん
同じく『ノルウェイの森』に、永沢さんという寮の先輩が登場します。圧倒的な才能を持ち、外務省にらくらく入った東大生です。
「僕」は、永沢さんに連れられて、しばしば夜の街で女の子と遊びます。永沢さんは、とにかく話がうまくて、一緒にいる「僕」までも魅力的な男のように見えさせてしまう魔力的な才能を持っていました。
とにかく彼は話がうまかった。べつに何かたいしたことを話すわけでもないのだが、彼が話していると女の子たちは大抵ぼおっと感心して、その話にひきずりこまれ、ついついお酒を飲み過ぎて酔払って、それで彼と寝てしまうことになるのだ。おまけに彼はハンサムで、親切で、よく気が利いたから、女の子たちは一緒にいるだけでなんだかいい気持ちになってしまうのだ。そして、これは僕としてはすごく不思議なのだけれど、彼と一緒にいることで僕までがどうも魅力的な男のように見えてしまうらしかった。
『ノルウェイの森』(上)p.64
永沢さんの才能を目の当たりにして、「僕」は感心します。そして、永沢さんと比べれば、キスギの座談の才は子供だましのようなものだと感じます。
全部永沢さんの魔力のせいなのである。まったくたいした才能だなあと僕はそのたびに感心した。こんなのに比べれば、キスギの座談の才なんて子供だましのようなものだった。まるでスケールがちがうのだ。
『ノルウェイの森』(上)p.65
それでも、「僕」は、キスギのことを懐かしく思います。永沢さんに比べればささやかな座談の才を、「僕」とキスギと直子という三人だけの小さな世界のためだけにとっておいてくれたことを、懐かしく思います。
それでも永沢さんのそんな能力に巻き込まれながらも、僕はキスギのことをとても懐かしく思った。キスギは本当に誠実な男だったんだなと僕はあらためて思った。彼は自分のそんなささやかな才能を僕と直子だけのためにとっておいてくれたのだ。
『ノルウェイの森』(上)p.65
2.ささやかな才能を、小さな世界に集中させて、小さな世界を大切にする
(1) ささやかな才能を、小さな世界に集中させて、満足する、というスタイル
このキスギと永沢さんのエピソードは、『ノルウェイの森』の中で、私がもっとも惹かれるところのひとつです。
永沢さんと比べればささやかな才能ではありますが、キスギも高い能力を持っていて、座談の才に恵まれています。でも、キスギは、そのささやかな才能を使って広い世界で活躍することは考えずに、「僕」・キスギ・直子という小さな世界に、そのささやかな才能を集中させます。キスギは、「僕」と直子のためだけに、そのささやかな才能を大切にとっておきました。自分のささやかな才能を、自分にとって大切な世界に集中させることで、満足していました。
この、自分のささやかな才能を小さな世界に集中させて満足する、というキスギのスタイルに、私は魅力を感じます。はじめて『ノルウェイの森』を読んだ大学生の頃にも漠然とした魅力を感じましたし、その後なんどか『ノルウェイの森』を読み返すうちに、私が感じる魅力は、どんどんくっきりとしたものになりました。
(2) キスギのスタイルに魅力を感じた理由をふり返る
なぜ、キスギのスタイルに魅力を感じたのか、『ノルウェイの森』を何度も読んでいた大学生のころの自分をふり返って言葉にしてみると、こんな感じです。
まず、私は、「与えられた才能を活かしきる」という生き方を、よい生き方だと考えていました。今もそう考えています。
論理必然ではないのですが、当時の私は、ここから、「与えられた才能を活かしきっていない」という生き方を、あんまりよくない生き方のように感じていました。「与えられた才能は、できるかぎり活かしきるべきだ」、「与えられた才能は、できるかぎり活かさないと、損だ」、といったところです。
さらに、ここでいう「与えられた才能を活かしきる」のことを、以前の私は、素朴に、「広い世界か狭い世界なら、広い世界の方がいい」「大きいことか小さいことなら、大きいことの方がいい」というように感じていました。大した根拠はありません。「大きいことはいいことだ」的な素朴な感覚です。
すると、当時の私の考え方は、こうなります。
- 「与えられた才能は、その才能が通用する範囲の、もっとも広い世界で、活かすべきだ。もっと広い世界で活かせるのに、広い世界で活かしていないなら、その才能を活かしきっているとはいえない」
- 「与えられた才能は、その才能によって可能な範囲の、もっとも大きいことのために、活かすべきだ。もっと大きいことができるのに、小さいことしかしていないなら、その才能を活かしきっているとはいえない」
この考え方は、今でも、一理あるとは感じます。少なくとも、悪い考え方ではありません。
でも、かなり偏っていますし、なにより、窮屈です。
現に、当時の私は、いつも、
- 「もっと広い世界に行けるのではないか? 行くべきではないか? 行かないと損ではないか?」
- 「もっと大きなことのために行動できるのではないか? 大きなことのために行動すべきではないか? 大きなことのために行動しないと損ではないか?」
といった感覚を抱いていました。
もちろん漠然と抱いていただけですし、また、より広い世界を目指して寸暇を惜しんで努力していたわけではなく、気楽なひとりの大学生に過ぎませんでした。でも、常にもやもやした焦りを感じていたのは確かです。
『ノルウェイの森』を読んで、キスギのスタイルと出会ったのは、そんなころでした。与えられた才能を小さな世界に集中させて、満足する。もっと広い世界へ、もっと大きなことへ、とは考えずに、自分にとって大切な小さな世界のために、大切にとっておく。私は、こういうあり方があるのかあと、ものの見方がくるりとひっくり返ったような感覚を覚えました。
(3) 「与えられた才能を活かしきる」ための、もうひとつの戦略
私がキスギのスタイルから教わったのは、「与えられた才能を活かしきる」ための、もうひとつの戦略です。
できるかぎり広い世界のため、できるかぎり大きな物事のために才能を活用することは、「与えられた才能を活かしきる」ための、ひとつの王道の戦略です。まちがった考え方でもなんでもありません。
『ノルウェイの森』の永沢さんだって、基本的にはこの戦略をとっています。永沢さんが、国という大きなものの中で働くことを選んだ動機も、きっとこのあたりにあるのでしょう。
でも、そうじゃない戦略、もうひとつの戦略もあります。もっと広く、もっと大きく、とは考えずに、現に近くにある小さな世界に集中して、その世界をよい状態に維持する、というような戦略です。
キスギは、なろうと思えば、高校のクラスや学校全体の中心人物になれるくらいの座談の才を持っていました。キスギがクラスや学校の中心人物になれば、キスギは、その座談の才を活かして、きっと、たくさんのクラスメイトたちに、「自分は面白い人生を送っている」という満足感を与えられたことでしょう。
でも、キスギはそうしようとはしませんでした。かわりにキスギがしたのは、「僕」と直子とキスギという三人だけの小さな世界を大切にすることです。クラスや学校というもっと広くて大きな世界に打って出ることはしないで、「僕」と直子という、キスギの近くにある小さくて大切な世界を、大切にすることを選びました。
「与えられた才能を活かしきる」のがいい生き方だという考え方を前提としても、「もっと広い世界へ」「もっと大きなことへ」と考える必要はありません。私がキスギのスタイルから教わったのは、与えられた才能を小さな世界に集中して、その小さな世界を大切にすることも、「与えられた才能を活かしきる」ことのひとつのあり方なんだよ、ということです。
(まあ、もっとも、小説全体からすれば、3人だけの小世界を心地よく保つ、というキスギくんの戦略が果たしてうまくいっていたのかは、いろんな考え方があるかとは思いますが。)
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