ブログがよき聞き手になるために大切なことは、読み手の存在を実感し、読み手に伝えたいと願えること
目次
1.「どんなブログでも、よき聞き手になるのか?」
こんな文章を書きました。
『神様からのギフト』で「よき聞き手」に関する一節を読み、連想した考えをまとめたものです。
テーマ・結論・理由でまとめると、
- テーマ:「自分のブログを持つことのメリットは何か?」
- 結論:「自分のブログは、よき聞き手として、自分の考えや感情を整理するのを手伝ってくれる。」
- 理由:「なぜなら、思いついた考えや感情をブログ記事という文章にまとめる過程で、自分の考えや感情を客観的に把握できるから。」
となります。
ただ、もう少し先があるように思います。それは、「どんなブログでも、よき聞き手になるのか?」ということです。
そして、結論から書けば、「どんなブログでもよき聞き手になるわけではない。ブログがよき聞き手になるためは、そのブログの読み手の存在を実感できていることが大切だ。なぜなら、読み手に何かを届けたいと願い、言葉を整えることこそが、自分の考えや感情を整理することを可能にするから。」と感じました。
これについての考えを、外に出してみます。
2.よき聞き手のために言葉を工夫することが、自分の考えや感情の把握を深める
(1) よき聞き手がいることで、自分の考えや感情を整理できるメカニズム
まず、考える出発点として、よき聞き手がいることで自分の考えや感情を整理できることのメカニズムを整理します。
『神様からのギフト』の該当箇所を、再度、引用します。
そして、よき聞き手がいれば、人は自分の考えや感情を話しながら整理することができます。自分の中にあるものは、外に出して初めて客観的に見ることができます。自分で自分自身に気づくことができるのです。つまり話を聞くということは、話している相手が次第に自分自身を取り戻していくのを手伝うことなのです。 location 1258
この記載を分解すると、
- よき聞き手がいれば、人は自分の考えや感情を話しながら整理することができます。
- 自分の中にあるものは、外に出して初めて客観的に見ることができます。
- 自分で自分自身に気づくことができるのです。
- つまり話を聞くということは、話している相手が次第に自分自身を取り戻していくのを手伝うことなのです。
という4つの文です。
つまり、次の4段階です。
- (1) よき聞き手に話を聞いてもらう
- (2) すると、自分の考えや感情を外に出すことができる
- (3) 自分の考えや感情を外に出すと、それらを客観的に見ることができる(外に出さないと、客観的に見ることができない)
- (4) 自分の考えや感情を客観的に見ることで、自分自身に気づくことができる(自分の考えや感情を整理できる)
(2) 「よき聞き手に聞いてもらう」は必要じゃない?
さて、この4段階を眺めて感じるのは、「というか、(1)はいらないんじゃないか?」です。「(1)よき聞き手に聞いてもらう」がなくても、(2)から始めれば、それでいいんじゃないか、と。
ためしに、(1)を抜いてみます。すると、こうなります。
- (2) 自分の考えや感情を外に出す
- (3) 自分の考えや感情を外に出して初めて、それらを客観的に見ることができる
- (4) 客観的に見ることで、自分自身に気づくことができる(自分の考えや感情を整理できる)
この3段階のスタートは、「自分の考えや感情を外に出す」です。ここさえ始まれば、あとは、「自分の考えや感情を外に出す→自分の考えや感情を外にだすことで、それらを客観的に見ることができる→客観的に見ることで、自分の考えや感情を整理できる」となり、なんの問題もなくつながるような気がします。
では、「自分の考えや感情を外に出す」のために、「よき聞き手に話を聞いてもらう」が必要なのでしょうか。
「自分の考えや感情を外に出す」とは、自分の考えや感情に言葉を与えることなので、問題は、結局、「自分の考えや感情に言葉を与えるために、よき聞き手に話を聞いてもらうことは必要なのか?」ということに集約されます。
自分の考えや感情に言葉を与えることは、自分一人でできる作業です。壁に向かって一人話すことも、日記帳に向かって一人日記を綴るのも、Evernoteの中で文章を育てるのも、全部自分の考えや感情に言葉を与える作業ですが、これらは全部一人でできます。他者を必要としません。
であれば、自分の考えや感情に言葉を与えるために、よき聞き手は必要ではない、ということになりそうです。
(3) 聞き手に伝えたいと願うからこそ、与えられる言葉
でも、たぶん違います。よき聞き手は、必要です。
なぜなら、自分の考えや感情を客観的に見るためには、自分の考えや感情に、どんな言葉を与えるか、がとても大切だからです。そして、よき聞き手がいるかいないかによって、自分の考えや感情にどんな言葉を与えられるかに、大きな違いが生じるからです。よき聞き手がいるからこそ、与えられる言葉、というものがあります。
どういうことでしょうか。
たとえば、今、私は、ここで、「自分の考えや感情に言葉を与えるために、よき聞き手は必要だ」ということの具体例を書いています。なぜ私がここで具体例を書こうと思ったのかと言えば、具体例がある方がわかりやすいんじゃないかと考えたためです。というよりも、具体例がないとわからないだろうなと感じたためです。
誰にとってわからないのかと言えば、それは、私ではなくて、この文章を読んでくださるであろう方々、すなわち聞き手です。つまり、聞き手のことを思い浮かべているからこそ、私は、今、ここで、具体例を書いています。
これに対して、仮に聞き手がいなかったら、つまり、聞き手をまったく想定せず、言葉を与えて考えと感情を整理することそのものを目的として文章を書いているとしたら、私は、わざわざ具体例を書こうとは思いませんでした。具体例なんか書かずに、その次のことを書いていたはずです。
聞き手のことを思い浮かべて、今回の私は、具体例を書きました。でも、聞き手に伝えるためにできる行為は、具体例を書く以外にも、いくつも存在します。たとえば、文を短く区切る、言葉の使い方を整える、文や単語の並び順を工夫する、接続詞を使う、比喩を用いる、などなどです。
(余談ですが、これらを学びたければ、結城浩先生の『数学文章作法 基礎編』を読むことを、これらを練習したければ、結城浩先生の『文章教室』を実践すること、おすすめします。→結城浩先生の『数学文章作法 基礎編』を読んでから、『文章教室』2014期生のクラスメイトができるまで(あるいは、『文章教室』2014期生へのお誘い))
これらは全部は、よき聞き手がいるからこそ、やれることです。よき聞き手がいるからこそ、その聞き手に伝えたいと願い、自分の考えや感情にどのような言葉を与えるかを、繰り返し、丁寧に、工夫することができます。
(4) 表現だけの問題ではなく、どれほど深く自分の考えや感情を把握できるかの問題
これに対して、具体例や接続詞や比喩や順序は、表現という表面的な問題であり、自分の考えや感情を客観的に把握することとは関係ない、という指摘もあり得ます。
でも、これは違います。考えや感情に与える言葉を繰り返し丁寧に工夫する過程は、自分の考えや感情に対する自分の理解を、どんどん深めます。
具体例を考えると、自分の考えや感情の曖昧さに気づくことができます。言葉を丁寧に選ぶと、自分が使っている概念をはっきりさせることができます。パラレリズムを使って対比を明らかにしようとすると、自分の考えや感情のなかに対比関係を見つけることができます。
聞き手のために、言葉を工夫すればするほど、自分自身の考えや感情を、より深く把握できます。聞き手に伝えることを願っての行為は、聞き手のためを起点としています。でも、ここから最も大きな恩恵を受けるのは、自分自身です。よき聞き手がいることは、自分にとって、とてもありがたいことです。
(5) よき聞き手がいることで、自分の考えや感情を整理できるメカニズム
これを踏まえて、あらためて、よき聞き手がいることで、自分の考えや感情を整理できるメカニズムを整理すると、こうなります。
- (a) よき聞き手に話を聞いてもらう
- (b) その聞き手に自分の考えや感情を伝えたいと願う
- (c) その聞き手に自分の考えや感情を伝えるために、考えや感情に与える言葉を工夫する(具体例を考えたり、言葉を選んだり、何度も読み直して書き直したりする)
- (d) これらの過程で、自分の考えや感情を外に出すことができるし、自分の考えや感情をより深く把握することができる
- (e) 自分の考えや感情を客観的に見たり、深く把握したりすることで、自分自身に気づくことができる(自分の考えや感情を整理できるし、育てていくことができる)
3.私にとって、このブログがよき聞き手なのは、読み手の存在を実感できているから
よき聞き手がいることで、自分の考えや感情を整理できるメカニズムが機能するには、「聞き手に自分の考えや感情を伝えたい」と願っていることが大切です。「この聞き手に自分の考えや感情を伝えたい」と感じさせてくれる聞き手こそが、よき聞き手だと言えます。
これと同じように、ブログによって自分の考えや感情を整理できるメカニズムが機能するには、「ブログの読み手に自分の考えや感情を伝えたい」と願っていることが大切です。私にとって、この「単純作業に心を込めて」がよき聞き手であるのは、私が、「「単純作業に心を込めて」を読んで下さる方々に、自分の考えや感情を伝えたい」と願うことができているからです。
そして、私が「「単純作業に心を込めて」を読んで下さる方々に、自分の考えや感情を伝えたい」と願うことができているのは、読み手の存在を実感するからです。
ブログを始めてしばらくの間、私は、読み手の存在をぜんぜん実感できていませんでした。でも今は、いろんなかたちで読み手の存在を実感できています。
Twitterなどでコメントをいただくことで、具体的に顔や名前や考え方が思い浮かぶ方もいらっしゃいます。TwitterやFacebookページをフォローしていただくなどで、顔や名前は思い浮かばないけれど、なんとなく存在を感じられる方もいらっしゃいます。また、数字でしか把握できないのですが、Feedlyの購読者数やPVから、購読登録をしてくださっている方や検索でたどり着いて下さった方々の存在も感じます。
ブログの読み手を実感するからこそ、私は、その読み手に少しでも何かが伝わればよいなと願い、言葉を工夫することができます。私にとって、「単純作業に心を込めて」がよき聞き手であってくれるのは、たくさんの方々が、このブログを読んでくださっているからです。
これからも、読み手への感謝の気持ちを胸に、できるかぎり、自分の考えや感情に与える言葉を工夫していこうと思います。そうすれば、自分自身が考えと感情をもっと深く把握できるという私にとってのメリットも、きっと、結果として、生まれるはずです。
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