社会の夢への当事者意識(スーパーで元気が出た話)
公開日:
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最終更新日:2013/12/15
暮らし
こだわりのスーパーに立ち寄ったら、元気が出た
昨日、東京出張の途中、僕は、あるスーパーにふと立ち寄り、ちょっとした出来事に遭遇した。そこからいろいろ考えていたら、結果として、すごく元気が出た。
そのスーパーで遭遇したのは、本当に、ちょっとした出来事だ。こだわりのスーパーだったからかイオンに比べると商品の価格がびっくりするほど高かったこととか、お客さんの服装がイオンのお客さんのそれとは全然違っていてかなりハイソな感じだったこととか、「オーガニック納豆をください」と店員に話しかける6歳ぐらいの女の子を目撃したこととか、それくらいである。
でも、こんなことからいろいろ考えていたら、自分の過去と自分なりに向き合うことができて、その結果として、すごく元気が出た。
こんなふうに元気が出たことを、僕はすごくうれしく思う。出てきた元気も大切にしたいし、元気が出たという経験自体も大切にしなきゃと思う。だから、あのスーパーに立ち寄ったことで、自分の中で何が起きたために元気が出たのか、できる限り丁寧に文章にしてみようと思う。
こだわりのスーパー
昨日は、東京の取引先のところで打ち合わせがあった。打ち合わせ開始時刻は午後4時で、打ち合わせ場所はタクシーで東京駅から10分かからないくらいのところだったけど、久しぶりの東京だったから、東京駅周辺の本屋さんをぶらぶらしたいなと思って、3時着の新幹線で東京に向かった。
でも、新幹線の中でうとうとしたからか、新幹線から降りたときの僕の頭はぼーっとしていた。この頭で本屋さんをぶらつきたいとは思えず、むしろ体を動かしたいと感じた。
そこで、いい天気だったし、時間もあるから、散歩がてら打ち合わせ場所まで歩くことにした。
ところが、昨日はいい天気だったんだけど、風が強くて寒かった。だから、目的地近くにたどり着くまでに、僕の体はすっかり冷えていた。
そのときの時刻は3時30分くらい。アポイントまで30分あるから、すぐに取引先の建物に入るわけにもいかない。とはいえそのまま外にいるのは寒いので、どこか室内に入れそうなところを探して周囲を見渡すと、スーパーマーケットがあった。そのスーパー以外に一般人が気軽に入れそうな場所が目につかなかったので、中に入って寒さをしのぐことにした。
スーパーに入り、野菜コーナーから順番に歩いていった。すぐにわかったのは、価格が高いことだ。僕がいつも使ってるイオンと比べると、体感で、1.5倍から3倍くらいの値段設定だった。大根一本は250円である。
お客さんの雰囲気もイオンとは違う。まず着ている服が違う。かなりハイソな感じ。髪型や化粧の具合も、けっこうきっちりしているように見えた。デパートの婦人服売り場とかデパ地下みたいだった。
イオンとの違いを観察しながら歩いていて、納豆コーナーにたどり着いたら、納豆コーナーもイオンとは大違いだった。僕がいつも食べている3パック88円の納豆はなく、山積みになっていたのは3パック220円の「国産有機大豆使用」の納豆だった。それ以外に、わらに入った納豆まで陳列してある。わら入りの納豆がスーパーにおいてあることに衝撃を受けていると、6歳くらいの小さな女の子がやってきて、近くにいた店員さんに、「オーガニック納豆はどれですか。オーガニック納豆ください。」と言っていた。
そのスーパーは、イオンとは、まったく違う世界だった。商品、お客さん、BGM、照明、什器、店員さんの雰囲気、何から何まで違っていた。
でも、そんなスーパーの中にいるときに、僕がいちばん強く感じたのは、「懐かしいなあ」という感覚だった。それも、単なる懐かしさではなくて、ちょっとほろ苦い気持ちを伴った懐かしさだった。
なぜかと言えば、そのスーパーは、大学時代の一時期に僕が惚れ込んでいたスーパーと、いろんなところで似ていたからだった。
昔話
昔々、といっても十数年前のことだけれど、当時大学生だった僕は、夢を持っていた。それは、地球を救う、ということ。そのときの僕は、環境問題が人生の大問題で、地球を救うことが自分の夢であり生きる目的だったのだ。冗談抜きで。
環境問題に興味を持ったきっかけは、たしか、岩波新書かなにかの新書本だった。
今よりも多少純真だった大学生の僕は、気候変動や食糧難の本を読んで、地球が直面している課題を知り、びっくりした。
何とかしないとこのままではまずい、地球が壊滅的な状態になる、と勝手に焦った。環境問題を解決するために、自分もなにか動かなくちゃ、という使命感に駆られた。
でも、環境問題という大問題を目の前にして、いち大学生に何ができるかは、わからなかった。途方に暮れた僕は、そのとき、運命的な出会いを果たす。それが、グリーンコンシューマーとNPOだった。
グリーンコンシューマーというのは、環境活動のひとつの潮流で、環境のことを考えた消費行動を実践する消費者のことである。買い物は社会に対する投票だ、というのがグリーンコンシューマーの基本的な考え方で、環境によい商品を買うことは、環境に配慮する社会に一票を投じること、体に良い食べ物を買うことは、そんな食べ物を生み出す産業に一票を投じること、というように考える。
僕がグリーンコンシューマーを気に入ったのは、日々の買い物という自分でもできる行為が、環境問題への取り組みにつながるところ。これが、何をしたらよいかわからなかった僕に、ぴんときた。グリーンコンシューマーを知った日から、僕は、どこで買い物をするにしても、少しでも環境に良い商品を選ぶことにした。
もうひとつの運命的な出会いはNPOだ。インターネットでグリーンコンシューマーを広める活動をしているNPOを見つけて、そのNPOでボランティア活動をさせてもらった。これがまた僕のツボにはまった。
大学の友人やバイト仲間は環境問題への関心を共有することができなかったけれど、NPOには環境問題に高い関心を持つ人が集まっている。それだけでもすごく居心地が良かった。
加えて、ミッション中心で動くというNPOの組織原理に、大きな可能性と魅力を感じた。
グリーンコンシューマーとNPOに出会ったことで、僕は、ものすごい勢いで、環境問題へ傾倒していった。自分の人生の全部を環境問題に賭けようと思った。僕が物事の価値を判断する基準は、環境問題の解決に貢献するか否か、になった。こうして、環境問題を解決することが、僕の夢になった。
そんな当時の僕に言わせれば、イオンや西友は、しょうもないスーパーだった。5円10円の安売りを大げさにアピールして環境に悪い製品や体に悪い食べ物ばかり並べている、残念なお店だった。
そんなふうにイオンや西友を嘆いていた僕に、NPOのスタッフが、ひとつのスーパーを教えてくれた。無農薬の野菜や地産地消の肉・魚や自然素材の加工食品やフェアトレードの輸入品や、そんな環境と健康に良い商品ばかりが扱っている、こだわりのスーパーだった。
はじめてそのスーパーに入ったときのことは忘れない。店中が輝いて見えた。ユートピアがここにあった、と思った。
まあ、商品の価格は高かった。貧乏学生だった僕には、不相応かなあという考えもよぎった。しかし、なにせ、そのときの僕は、環境問題を解決するのが夢で、地球を救うことが自分の生きる意味だったのだ。納豆3パックが250円だとしても、3パック88円との差額162円よりは、地球を救うことのほうが大切だ、と考えて、がんばってそのスーパーを利用した。
そんなわけで、地球を救うために、僕は、そのスーパーに通い詰めた。
しかし、それから1年ちょっと後、僕は、地球を救うという夢に挫折し、環境問題から離れた。NPOに行くのはやめたし、グリーンコンシューマもやめた。
環境問題を解決するという夢を捨てる理由が何なのか、当時はいろいろ考えた。でも、今からふり返れば、たぶんシンプルなことだ。環境問題にのめり込んだ程度が大きすぎたために、ちょっとしたことにがっかりすることで、裏切られたような失望を感じた、ということだと思う。夢が挫折したという表現がしっくりくる。
環境問題を解決するという夢に挫折し、半ば逃げるような感じでその夢から離れたためか、その後、僕は逆方向に振れて、環境問題を解決するという夢を否定するようになった。地球を救うという夢に対しては冷笑的な姿勢になってしまったし、環境に良いからという理由で購入する商品を決める習慣もすっかり捨てた。
そんな僕にとって、そのこだわりのスーパーは、輝きを失い、むしろほろ苦く感じる場所になった。そのスーパーに入ると、夢が挫折したことを突きつけられるようで、もやもやした。
だから、僕は、そのこだわりのスーパーに立ち入ることをやめた。
こだわりスーパーで発見したこと
昨日の東京出張でふと立ち寄ったスーパーは、僕が大学時代に通い詰め、そして離れた、あのスーパーと似ていた。
野菜は国産有機栽培、卵は平飼い、肉はこだわり飼料で育てられホルモン剤なんてもってのほか、納豆ですらオーガニック。もちろん値段は高いけれど、お店中に、志を感じる商品が並んでいた。照明や陳列も、通い詰めてたスーパーと通じるものがあった。そして、商品や照明や陳列などが全体として醸し出す空気が、同じだった。
そのスーパーの中にいると、本当に懐かしかった。挫折した捨てた夢のことも思い出してしまうので、多少のほろ苦い気持ちもくっついてきたけれど、基本的には、10年以上経っているからか、穏やかな気持ちで懐かしさを感じられた。
そんな穏やかな懐かしさを感じながら、昨日の僕は、そのこだわりスーパーを観察した。
お客さんは、けっこうたくさん入ってる。5台あるレジに列ができてたくらい。ハイソな感じの人が多いけど、みんながみんなそういうわけでもない。
このあたりは住宅地っぽかったから、近所の人が日常の買い物に利用しているのだろう。
そのとき思いついた。
このスーパーのお客さんには、環境問題を解決するという夢を持っている人は、たぶんあんまりいなくて、大部分のお客さんは、雰囲気が良くていいものが買えるからという理由で、このスーパーを利用しているんだろう、ということだった。
僕にとって、これは、けっこう大きな発見だった。
グリーンコンシューマーを広げようとがんばっていたとき、僕は、環境問題をまったく意識しないで普通に買い物するだけで、結果としてグリーンコンシューマーになっているような、そんな状況が大切だと考えていた。社会を構成する大部分の人が、環境問題を解決するという夢を持つなんて、あり得ないし、好ましくもない。環境問題のことを意識しない人が、普通に買い物することで、結果として、環境に良い行動をしている、という社会条件を整えなければ、と思っていた。
そして、この点からすると、大学生の僕が通い詰めていたスーパーは、まだ足りなかった。お店の側は、お客さんに対して、環境問題に関心を持ち、グリーンコンシューマーになることを期待しているようなところがあった。また、お客さんの多くが、環境問題にある程度の関心を持ち、環境問題のことも考えて、買い物をしていた。
これに対して、東京のこのスーパーでは、環境問題を意識しないで買い物することが、結果として環境に良い選択になっている、という状態が、ある程度実現しているように見えた。「オーガニック納豆をください。」と店員さんに言っていた6歳くらいの女の子は、たぶん、地球を救おうなんて考えていない。その子にとって、オーガニック納豆を買うことは、あたりまえの日常なんだと思う。
あたりまえの日常を生きると、結果として、環境問題を解決する方向につながる。このスーパーでは、これが実現されている。これは、当時の僕が思い描いていた夢が、このスーパーで、現実の形になっている、ということではないか。
(もっとも、オーガニック納豆を選ぶことが果たして本当に環境問題の解決につながるのか、という問題は残る。そして、この点について僕はけっこう懐疑的だ。でも、それはそれとしておいておく。)
これに気づいたとき、僕は、「おお、やるじゃないか」と思った。そのスーパーに対して、というのも少しはあるけれど、それ以上に、この社会に対して、「おお、やるじゃないか」と、そう思った。この十数年間で、この社会は、当時の僕が夢見ていた方向に、少しずつ進んでいるんだなと思った。
十数年前の僕が持っていた夢は、僕の中では挫折した。でも、それとは無関係に、この社会は、この十数年間、この方向に、少しずつ進んでいたた。「オーガニック納豆ください」という6歳の女の子が実在するということを、こういうふうに解釈しても、許されるんじゃないかと思う。
このことに気づいたのと同時に、僕は、自分がすごくうれしくなっていることにも気づいた。「オーガニック納豆ください」という女の子を見たときから、胸の中に、あたたかい幸福感が広がっていた。
それは、多少は、6歳くらいの女の子が「オーガニック納豆ください」なんてことを言っているというほほえましさに由来するのかもしれないけれど、もっと大きいのは、昔の自分が夢見ていた方向へ、社会が少し動いていたことを知ったからだと思う。
社会をよくする夢に没頭することの価値
ここから、2つのことを考えた。
ひとつは、なぜ僕は、東京のスーパーに立ち入ったことで、社会の変化を感じられたのか、といことだ。
この理由は、僕が、昔、環境問題を解決するという夢を持って、その夢に没頭していた経験を持っていたからではないか。その夢に没頭していた経験があったから、その夢がちょっとでも現実になったときに、それに気づけたんじゃないか。
もうひとつは、6歳くらいの女の子が「オーガニック納豆ください」と言っているのを聞いたときに、僕が感じたあたたかな幸福感の理由は何だろう、ということだ。
それは、僕が昔、環境問題を解決するという夢を持って、その夢に没頭していた経験を持っていたからではないか。その夢に没頭していた経験があったから、その夢がちょっとでも現実になったときに、そのことをたまらなくうれしく感じたのんじゃないか。
そして、これを少し抽象化して考えた。
ひとつは、社会をよくする夢を持ちそれに没頭すると、社会がその夢の方向に動いたとき、その動きがほんの少しでも、その動きに気づくことができる、ということだ。
もうひとつは、社会をよくする夢を持ちそれに没頭すると、社会がその夢の方向に動いたとき、その動きがほんの少しでも、その動きをすごくうれしく感じる、ということだ。
そして、これらのいずれもが、現在進行形で社会をよくする夢に没頭している人にだけ起きることではなく、昔社会をよくする夢に没頭していたという過去完了の人にも起きる、ということだ。
こんなことを考えていたら、社会をよくする夢に没頭することには、たとえその夢に挫折し、その夢を捨てちゃったとしても、大きな価値があるんじゃないかと思った。
社会が変化していることに気づいて、その社会の変化をうれしく思えるというのは、自分が生きるこの社会に対して、肯定的な感情を持つ、ということだ。自分が生きる社会に対して肯定感を持てるということは、生きためにとても大切な基盤ではないかと思う。社会をよくする夢に没頭することが、社会の変化に気づくことやその変化をうれしく思うことを促してくれるなら、社会をよくする夢に没頭することには、大きな価値があるといっていいと思う。
社会をよくする夢に没頭する=社会の夢に当事者意識を持つ
今回、こだわりのスーパーで遭遇した出来事をきっかけとしていろいろ考えたら、社会をよくする夢に没頭することの価値に気づけた。社会をよくする夢に挫折して、その夢を捨てる結果に終わっちゃったとしても、社会をよくする夢に没頭した経験の価値はなくならないんだなと思えるようになった。
これと同時に、自分が、社会をよくする夢に没頭することに対して強いブレーキをかけていたことに気づいた。そして、このブレーキを外してもいいんじゃないかな、と思えるようになった。
地球を救うという夢に挫折したことで、僕は、社会をよくする夢に没頭することそのものに対して、懐疑的になっていた。
そのため、それ以後、僕は、こんな社会になればいいなと感じたとしても、それを自分の夢にして没頭する、ということを避けてきた。夢を持つこと自体は否定しないが、夢を持つなら、社会をどうするかの社会の夢ではなくて、自分が自分の人生をどう生きるか、という自分自身の生き方の夢にしなくちゃいけない、と考えていた。
社会の夢に没頭してはいけないというブレーキというのは、社会の夢に対して当事者意識を持たないようにしていた、ということだと思う。
こんな社会になればいいな、こんな方向に進んでくれればいいな、という願望を持つことは、普通に暮らしていれば、しばしばある。でも、願望しているのと夢として没頭するのとは違う。ではどこに違いがあるのかといえば、その社会の夢に対して当事者意識を持っているか否かだ。社会の夢に没頭している人は、願望した社会を実現することを自分自身の問題と捉えて、そのために自分にできることを考え、動く。
これまでの僕がブレーキをかけていたのは、社会の夢に当事者意識を持つことなのだろうと思う。
環境問題を解決する夢から離れてからの十数年、日々を送る中で、僕は、いろいろな、「こんな社会になればいいのにな」を感じてきた。
たとえば、Googleという会社の成り立ちを知り、Gmailを使い始めたころに、ウェブの理想を思い描いた。
たとえば、大学の講師として大学教育に関与するようになって、大学教育はもっと生きることに役立つものであればいいのになと感じた。
たとえば、父親として子育てに没頭するようになって、働く父親にとって子育てはすごく大きな価値を生み出す可能性があるんじゃないかと感じて、このために、働くパパがお互いに交流する場がもっと多ければおもしろいだろうにと妄想した。
でも、その間を通して、社会をよくする夢に没頭することに対して自分でブレーキをかけていたので、そのどれに対しても、当事者意識を持って社会を変えよう、という方向には向かわなかった。
これに対して、これらの願望は、当事者意識を持てば、こんな夢になり得る。
ウェブは、これからももっとおもしろくて大きな価値を生み出す可能性を持っているから、その可能性を全部実現して、ウェブをもっとおもしろくてもっと大きな価値を生み出すものにする、という夢。
これからの大学教育を、専門知識を伝達するための場ではなく、人生を組み立てるために必要な知識を伝えたり、基本的な考え方をトレーニングしたり、夢と目標を定めて行動を管理するということを自分の専門領域との関係で練習したり、そんなことができる場にする、という夢。
仕事を持ちながら子育てをする父親が、仕事によって得たものを子育てに活かし、子育てによって得たものを仕事に活かすというように、仕事と子育ての両方に対して相乗効果的に力を発揮できるように、働くパパたちがお互いの工夫や経験を持ち寄って交流する場を作り育てる、という夢。
こんな社会が実現したらよいなと、心底思う。こんな社会の夢に当事者意識を持って、自分にできることをしていくことを想像すると、僕はワクワクして、元気が出てくる。
もちろん、毎日の現実の暮らしもあるから、地球を救う夢に没頭していたのと同レベルで没頭する気はないけれど、ちょっとずつでもこの夢に向かっていきたいなと思った。
社会の夢に当事者意識を持つことに対するブレーキを外したら、僕は、元気が出た。
東京出張中、こだわりのスーパーで、「オーガニック納豆ください」と話す6歳くらいの女の子を目撃したことをきっかけに、僕の中で起きたことは、こういうことだ。
あとがき
このエントリは、フィクションです。東京出張に行ってこだわりのスーパーに立ち寄った点は完全なフィクションです。また、昔話についても、ある部分フィクションです。
こんな長いエントリをここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、フィクションであることを最初にお断りしなかったことについて、謹んでお詫びいたします。
このエントリは、ブログ「Chikirinの日記」の以下のエントリで呼びかけられていた実験に参加するエントリです。
伝えたいメッセージを文章にする、ということ – Chikirinの日記
というわけで、もし自分が、
・いつもは行かない初めてのスーパーに入ったら、
・価格が驚くほど高く、周りの客の服装もいつものスーパーより、かなりハイソな感じだった。そして、
・「オーガニック納豆をください」と店員に話しかける “6歳ぐらいの女の子”を目撃した
としたら、その経験から、ブログの読者にたいして「何を伝えたい」と思うか、ぜひ考えてみてください。
おもしろそうと思い、考えてみました。私が、「いつもは行かない初めてのスーパーに入ったら、価格が驚くほど高く、周りの客の服装もいつものスーパーより、かなりハイソな感じだった。そして、「オーガニック納豆をください」と店員に話しかける “6歳ぐらいの女の子”を目撃した」としたら、何を伝えたいだろうか。
そうしたら、自分の過去の経験を思い出し、そこからつらつら考えていたら、自分にとってけっこう大きな発見があって、元気が出ました(元気が出たのはフィクションではありません)。この経過は、完全に想定外で、自分自身、とても驚きました。(この機会を提供してくださったChikirinさんに、私は勝手に感謝しています。)
これを踏まえて、私は、伝えたいメッセージの絞り込みをしました。「何を」伝えたいかよりも、「誰に」伝えたいかの絞り込みをしました。
私が伝えたい相手は、「昔、社会の夢に没頭したけれど、その夢に挫折し、夢を捨てた。そのために、今でも、社会の夢に当事者意識を持つことにブレーキをかけている。」という人です。そんな人に対して、挫折して10年以上経ったときに社会の夢に没頭していたことの価値を発見して、社会の夢に当事者意識を持つことに対するブレーキを外したら、元気が出てきた、という、私自身の経験を伝えたいと思いました。
私が伝えたい相手として想定する方が、どこにどれくらいいるのか、私にはわかりません。また、仮に存在していたとしても、このエントリがその方の目に触れる可能性は、たぶんすごく低いんだろうなと思います。それでも、いつかそんな誰かに届くといいなと願い、こんな文章を書きました。
[追記] この実験に参加して感じたことを、文章にまとめました。
「伝えたいメッセージを持つ」ということは、「万人に伝えたいメッセージを持つ」でなくてもよいけれど、「私が伝えたいメッセージを持つ」ということでなければいけない、ということが、この実験に参加して感じたことのポイントです。
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